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| 2007年6月1日(金) ZARD 坂井泉水との出会い1 No.90 |
今回の企画再開に当り、多くの方々から様々な意見を頂戴しましたが、もう少し話を進めてみたいと思います。
私は、自ら彼女との約束を破る事にしますが、もし、私の所業が過ちであるのならば、甘んじて仏罰を頂戴致します。
「一期一会」、彼女との出会いは、その様な表現がピッタリかも知れません。
今から10年近く前、関西遊学中に起きた出来事、寺務所から、私に若い女性の面会人があるとの連絡がありました。
私には全く心当たりが無いので、『妙な商売の押し売りかもしれない』などと思いながら、寺務所に向かいましたが、彼女を
見た瞬間に心臓が止まるかと思いました。
ジ−パンにジ−ジャン、スニ−カ−、髪を後ろに束ねた姿でしたから、開口一番、
「CDのジャケットから、抜け出て来たのですか?」と尋ねた所、
彼女は、「そうかも知れません」と笑いながら答えました。
幸い彼女の顔を知る人は皆無でしたから騒ぎに成らず済みましたが、こちらは大慌て、直ちに応接間へ案内し茶と菓子を
振る舞いました所、彼女からファンレタ−に対する謝辞を頂戴しました。
普通は、読まずに捨てられる程度の物なのでしょうが、私の手紙には神仏の御加護を頂けたものと思います。
彼女からは、『外柔内剛』、私と対等に渡り合うだけの気魄が伺え、世間で見られている様なイメ−ジの人とは多少違うのでは
無いか?との印象を受けました。
私は彼女に、お茶を勧めながら、
「ここは、誰でもが秘めている胸の内を分かち合う所ですから、お互い、何処の誰などと名乗り合う野暮な真似は止しましょう。
名前や体裁など何も必要ありません。
ただ、誠実の一点があれば、それで良い場所です」と言いましたら、彼女から、
「私達は、似ている所があります」との返事がありました。
何故かと言えば、私の服装は、学生の時から現在まで、ジ−ジャンにジ−パン(リ−バイス501ボタン式愛用)であり、
松田師匠とも、この格好で会いましたし、私を知る人ならば、大概は見て御存知かと思います。
このジ−ジャンには、学生時代に尊敬した先輩との思い出があり、私もこの先輩の姿を真似たまま今日が過ぎている為です。
それに、もう一つ『真実の愛とは何か?』、曲にして伝えて欲しいと哀願した事が、彼女には大きな切っ掛けと成った様です。
正直、私には、『真実の愛とは何か?』よく解りませんでした。
様々な宗教での解釈や言語学的意味あいは、あろうかと思いますが、社会通念上での愛は理解している積りです。
私の持説は、『人の心は移ろうものであるのだから、愛は幻想であり憎しみとは背中合わせである』との
仏教上における解釈をそのまま支持していました。
しかし、「真実の愛とは何か?」と現実に訊ねられた時、その人を目前にして、私には答え様が無かったのです。
何やら胸に熱く込上げて来るものがあるので、諸々の事情は次回以降の掲載にします。
多くの人に心が伝わる事を願って止みません。
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| 2007年5月28日(月) 企画の再開 |
「ほんの弾みの一瞬が、人生を大きく違うものに変えてしまう」
持論の一つですが、今日は久々に心境を書いてみたく成りました。
元々この企画は、知人の運用マネ−ジャ−を供養しようと善根功徳の行として始めたものですが、最近では為替取引と
何も関係のない多くの方々も、ご覧の様で、ある意味、私自身救われている思いがします。
今月初め諸国行脚をした際の話、数年ぶりに兄弟子と再会しましたが、大層叱られ、私は一言も無いまま唯々頭を
垂れるのみでした。
人が前向きに何も気にせず歩むのは実に簡単で、自身の歩いてきた道、過去の栄光や後悔を引きずり振り返りながら
生きるのは、更にもう一つ簡単な事です。
左右を見ながら歩むのは、少々難しいかもしれませんが、世間擦れし慣れてしまえば然程の事はありません。
しかし、己の背中を見ながら歩む事は誰にも出来ないのです。
その背中が物言わず語るもの、それは、その人なりの値打ちとでも言うべきものです。
『自分の気付かない背中が何を語っているのか?』
自身の後姿は、自身には見る事も聞く事も難しいのですから、誰か真実を誠実に教えてくれる人が必要と成ります。
これをしてくれるのは、師匠、親兄弟、伴侶、先輩後輩、上司部下、友人知人、様々な状況により、違いはあるでしょうが、
互いに深い絆で結ばれ、自分を大切に思ってくれる存在であり、それに足る自身が存在している場合に限られます。
つまり、叱ってくれる人があると言うのは、見えない背中を示してくれる本当に有難い存在であり、自らの成長と発展には
欠く事のならない存在です。
値打ちを感じさせない生き方をしていると、この様な存在は現れてきません。
逆に言えば、どれだけ本音を語りあえる存在があるのか、どれだけ自身に受け止められる度量があるのか?
あるがままを受け入れ自身の真実を映し出す鏡と向き合えるのか?
活きるとは、食べてウンコをしているだけでは、何も意義がないのです。
私自身、兄弟子から諭され自らの為すべき使命と未熟な点を再確認する事が出来ました。
昨今の世間では、生き死にの話題が多く見受けられますが、このような事を口にする者の殆どが自身の背を見ていません。
そして、他人の背でさえ真実を見ようとしていません。
目を叛けたままで得られるものなど何も無いのです。
私は『止まっていた時計が今動き出した』このような心境でいますが、今朝、ZARDの坂井泉水さんの訃報を聞き、私も命の
時計が永遠に止るまで、自らの使命を全うしようと思います。
彼女の供養の為、企画を再開します。
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| 2007年1月14日(日) ニュ−スを見て |
余り気乗りする事ではありませんが、最近起きた事件の中で参考にすべき事柄があり、ここに記しました。
私の視点は、世間一般に受け入れがたいと思いますので、その都度、自身に当て嵌め参考にすれば宜しいと思います。
詳しい事情は全く知りませんが、外資系金融マンのバラバラ殺人事件が大きく報道されています。
一見すると、この事件は、全く他人事であり、自身には何も関係が無さそうに見えます。
しかし、私が常々、折に触れ運や巡り合せ、因果応報の理を説いていますが、この度の一件ほど、多くの要点を含み諸々を
良く表した事件は、他に無いと思います。
運気論まで持ち出すと説明が複雑で難解な為、解り易く教訓をまとめてみると、
@人は他人様との接触の中で生き、作用と反作用は避けられない。
Aどの様に優れた人でも巡り合せが悪ければ、何らかの形で始末されてしまう。
B折角掴んだチャンスも活かせず、次の段階へ繋げられなければ、何れ不運が巡る。
Cチャンスの種を持つと、その光に呼び寄せられた魔が必ず忍び寄る。
中でも異性関係には、不運を持ち込む場合が多く用心しなければならない。
D一部の例外を除き、人の能力には大差など付いて居ないが、『陰徳』の効果により開運の差は天地ほどの違いが出る。
挙げれば限はありませんが、この度の事件からは、この様な事が窺えます。
私は大概、『陰徳』に付いて、厳しく申し上げるのですが、殆どの人はチャンスばかり狙う事を考え全く陰徳を積みません。
結果は、何らかの形で他人様に始末され小さなチャンスさえ消えています。
古い町で代々『旦那衆』と呼ばれている人達は、必ず陰徳を心掛けていますが、それは、昔から「成り上がり三代まで」と
言われ、才覚が通用するのは、長くて精々三代まで話であり、徳分が無ければ代々の継承は難しいとされている為です。
現実には、三代も継承できる事は稀な方であり、当人ですら途中で儘ならず途絶えてしまうのが大方です。
私の知る限り、徳分のない実業家や家系が栄えた験しは先ずありません。
何れ、どうにも始末のつかない愚かな嫁と巡り合い不始末を仕出かしたり、子や孫に放蕩者が出て全てを処分する破目に
陥ったりと苦労の絶えないものです。
陰徳を積む行為は、長い目で見ると安上がりで済み、しかも効果絶大、子孫にも残す事が出来ます。
折角、手にしたチャンスも目先の損得勘定に捉われ本質を見失うと根幹すら失う事に繋がり兼ねません。
くれぐれも自身の才覚を過信せず、他人の不幸と言えども自らの行いを映す鏡とし、決して疎かにしない事です。
チャンスは誰にでも巡りますが、それを手にして更なる発展に繋げられるか否かは、陰徳が重要な鍵を握ります。
背後を突かれ、他人様に始末される人の殆どは、陰徳の無さから天の助けに恵まれないのです。
自分の出来る範囲の小さな事で宜しいですから、近い将来大きな天運に恵まれる様、徳分を養ってください。
必ず、花が咲き良い実を収穫出来ます。
大法師/拝
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以上までの内容を知人である若手為替ディ−ラ−の栄達を願いながらメ−ルに認めていましたが、必要な人が多そうなので
公開する事に致しました。
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| 2007年1月6日(土) 今年の抱負 |
閲覧者の皆様、少々遅れ気味ですが、明けまして、おめでとうございます。
私的には正月でも、ゆっくりして居られませんが、気分だけでも世間様並みに合わせたいと思います。
昨年の暮れ、学生時代に中国人留学生達から伝授戴きながら書き写した論語や書経と言った儒学の知識が詰まった
ノ−トを懸命に探したのですが、何処に行ったものやら行方不明と成り、残念な年明けと成りました。
昨今は、親殺し子殺しが流行の様で、何時の間にやら、日本民族も何処かの土人達と大差ない程度に徳の薄れた蛮族と
成り果て様としているものですから、メルマガにでもして諸々配信しようかと考えていたのですが、延期せざるを得なく成り
誠に無念です。
教育現場に、自由と勝手を履き違えた亡国思想の輩が蔓延った結果が、今日の浅ましい現実を招いたのです。
先祖を敬い、文化と伝統を重んじ、生きる糧を与えてくれる社会に対し感謝するのは当然であり、これ即ち愛国心です。
日本に対し愛国心が持てないのならば、迷惑ですから可笑しな事を言い振れ回る前に、荷物を纏め何処也とも外国へ
移住すれば宜しいのです。
まだまだ言い足りませんが、正月早々思想信条を述べ過ぎると話が長く成りますから、この程度にしておきます。
さて、本題に入ります。
この所、知人達から、ホ−ムペ−ジの更新が滞りがちだと言われます。
この半年間、雑作に追われた事もありますが、国債先物に関する研究を中心に行っているので、こちらの書き込みは
手薄に成りますが御容赦戴きたく思います。
今迄、借金などした事はありませんでしたから、金利計算など余り考えても居ませんでしたが、債券の知識を習得すると
有益な知識がたくさんある事を知りました。
成程、100万円を30%の複利式で借りたら、ビックリする様な事に成るのだと理解出来ます。
この様な知識も難しい様に感じられますが、生活と密着しているほど、以外と簡単に理解できるものです。
以前、私の知人にも50万程度借りたのが、あっと言う間に200万以上に脹らみ、月々の利息だけでも6〜8万円近く支払い、
利払いに追われるばかりで、元本が、なかなか減らずに居た事を思い出しました。
近々利息は20%以内に制限される様ですが、この人は生涯、カモネギ状態から抜け出せる事はないと実感しています。
この類のサ−ビスは、利息だけでも入れていると好い御客様で要られますが、滞りが起きたら大変です。
実際に取立が来た時、この人は大方留守なので代わりに私が対応したのですが、凄むばかりで碌に事情も説明せず、
口の訊き方と行儀が大層悪いので口論と成り、思わず手近にあった大きな灰皿で数発殴り飛ばし喝を入れた所、
泣き出してしまい往生しました。
ワザワザ、堅気でない様な格好をしてくるので、それなりに応対した積もりでしたが、騒ぎの後から名刺を貰い、取立は
上場企業の社員であったと知り、本当に驚きました。
昨年一年間は、基礎的な知識を養う事に専念していましたが、今年は様々なデ−タを収集して、見込みを立てたいと
思います。
個人が参入するには、ハ−ドルが高く複雑な金融知識が必要とされる為、可也難しいかもしれませんが、為替ほど突飛な
変動もなく、傾向の出易い罫線つきなので、更に研究を進め吟味する積もりでいます。
この様な事情でサイト運営の方は手薄に成りがちですが、今年も張り切って参ります。
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| 2006年12月4日(月) 今年の思い |
この所、雑作に追われてしまい経済分析が儘ならず、ホ−ムペ−ジも更新できずに難儀しています。
年末が近付くにつれ、『ケジメ』をつけなければ成らないのは、人の世の習いであり、日頃の成果が顕れる切っ掛けに成ろうかと
思います。
毎度の事ながら感じるのは、『見込みのある話、可能性の高い話』と言うのは、予め察しがつくもので、見込みの無い話ほど
摩擦や障害は多く、時間ばかり掛かり動きの鈍い重い話に成りがちです。
詰らない話に関わってしまうと自分の勢いまで削がれてしまい、不調の波に巻き込まれるので、切り捨てた方が自分の為には、
宜しいと解っているのですが、なかなか見るに忍び難い事も多く、厄介を背負い込んでしまい要らぬ雑作と成ります。
私は毎年恒例の行事として、12月の第1日曜日に、一年間を振り返る事にしていますが、今年は要領の悪い事ばかり行い、
自身の為には宜しからぬ年でした。
今年のテ−マは、『交流』でしたから仕方ありませんが、来年は物事の成り行きを厳しく選別し無用な行いは慎みます。
無意味な厄介事は、『損は切る』の理を全うすべく合理化に努め無駄を省き、見込みのある話に対し協力強化を重点的に行う
積もりでいます。
人のつながりとは、『情』で成り立つ部分は多いのですが、「安っぽい浪花節」では修羅の世界で通用せず生き残れません。
縁の中にも『良縁と悪縁』が存在しますから、悪縁とは縁遠い方が無難と言うものです。
来年のテ−マは、『経済活動』これを中心に活動して行きます。 |
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| 2006年11月4日(土) 切っ掛け論B No.85 |
今週も相変わらず更新する積もりは有りませんでしたが、知り合いの若手為替ディ−ラ−から嬉しい報せを戴きましたので、
私の気分も上昇トレンドと成り、何ぞ記載しようかと思い立ちました。
丁度、為替予測の精度を極限まで高められる様、思案しながら試行錯誤していた最中でしたから、実に『吉祥の象』です。
人と言うものは、何かの切っ掛けさえあれば、本来秘めた才能を発揮するもので、日頃の心掛けを怠り無く精進していると、
何処からとも無く、「天の助け」も戴け、運気の上昇トレンドは寧ろ当然の果報と言えるでしょう。
その逆も、これまた然り、注意すべき事柄です。
今後とも『縁』を大切に、日々油断無く精進を重ねて戴ければ、次々とチャンスが巡り、近い将来に夢は実現する筈です。
これも思い立った切っ掛けですから、何か述べようと思いましたが、何も浮ばないので、『努力』について簡単に記します。
小学生までは、「頑張れば良い、努力が大切」、この様に教えられているかと思います。
しかし、これが通用するのは、幼児までの話であり、中学生以上では具体的な『成果、結果』と言うものが求められます。
この成果や結果とは、ある日突然、知らないうちに降って湧いて出て来る類のものではありません。
そこには、「始まりと経過」が存在しており、成果が顕れない場合は、開始か経過のどちらかに不都合があるものです。
例えば、私の場合、子供の頃から、バイオリン等弦楽器類の音が大嫌いで、壊れた椅子がすかした様な音を出しているのを
聞くだけで、何やら背中がムズムズしてきます。
この様な私に、音楽家など到底向かないものであり、「好きに成ろう」とか「演奏を楽しもう」などと、要らぬ努力を重ねた所で
何某かの成果は、全く期待の出来る状態では無く、音楽家を目指す努力など始めから無用な話です。
例え、叱咤激励しながら無理強いをしても成果に結び着く良い過程を構成出来ませんから、『アパッチ野球軍団』の様相では、
始めから話に成らず、「枯れ木に水を与えても芽は出ない」のが道理と言えます。
つまり、出だしから不適応なら、既に先の結果は見えています。
仮に音楽的センスに恵まれても音楽教育の環境に恵まれなければ、相応の成長は見込めないので先は見えています。
幸い、音楽的センスと教育環境に恵まれても同じ道を目指すライバルに差を開けられていたのでは、その道で芽を出すと
するならばライバルの方であり、当人が日の目を見る事は先ず無いでしょう。
「何故、ライバルと差がついているのか?」その要因を突き止め適切な方策を施さなければ、運すら巡ら無いのが現実です。
世間では、「結果が全て」などと解った様な口を利く者で溢れています。
『結果』とは、『要因と作用』の顕れに過ぎず、次の事象に対する通過点でしかありません。
諸行無常の刹那で問われているのは、「次の事象に、どの様な形でつなげられるのか?」こちらの方が遥かに重要であり、
将来への形を成す為には必要不可欠な要素と成ります。
本来、『結果を問う』とは要因と作用を問うているのであり、次の事象へ進む手掛りを探る行為と言えるかも知れません。
実は、その中で重要な役割を果たす一つが『切っ掛け』なのです。
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| 2006年10月14日(土) 切っ掛け論A |
この所、雑作に追われ、このページも更新するのが、ついつい億劫に成っています。
折角、『物事の切っ掛け』について、持論の薀蓄を得々と述べてみたかったのですが、なんとなく腰が折れてしまい、
この様な事も、ある意味『切っ掛けの一つ』と言えるかも知れません。
何故、この様な題材に取り組み出したかと言えば、戴いた数通ほどの質問メ−ルに、「因を求め縁を判じ果を計れ」とは
具体的に、どの様な事をすれば良いのかと尋ねられましたので、『何と返答をしたものか?』正直、迷っています。
私自身、改めて考え直してみると、常日頃から大層な事を公言ているものだと思いました。
単に言葉の意味を解釈するだけで済むのなら、辞書を引けば簡単に済む話ですが、それで本当の意味を理解した事に
成るのでしょうか?・・・
例えば、本屋で『料理の本』を買い、それを暗記したからと言って、「直に帝国ホテルの総料理長に成れるのか?」と言えば、
一般常識があるなら、直に解る筈です。
又、NHKの料理番組には、名立たる料理人が出演し調理の手解きをしていますが、これを見たからと言って自身の腕前が
超一流のレストランを経営出来るほど簡単に上達するものでしょうか?
これも又然り。
簡潔に私の存念を述べるとするならば、
「基本を学んだ後、技術の習得に血の滲む様な努力と社会的に成功する為の運気が必要」
とでも言った所でしょうか。
その他にも、『報徳、陰徳、謙徳』、才能、情熱など細かく挙げれば、もっと多くの必要事項はあろうかと思いますが、
様々な積み重ねが在ればこそ、相応の道を歩んだ結果として、その腕前を発揮する事が可能と成るのです。
他人の行いを傍で見ている分には、誰にでも真似が出来そうで簡単に見えるものです。
しかし、実際には見えない部分が大方を占めており、物事に通じると言うのは、表面上を誂えただけでは用を足しません。
それが証拠に、NHKの料理番組さえ見ていれば、料理の腕前が上達すると言うのなら、疾の昔に一般家庭の食卓は
美食化されている筈であり、わざわざグルメの何のと行列を作ってまでも飯屋に草木もなびく有様には為りますまい。
話を元に戻すと、「因を求める」とは、物事の成り立ちや仕組みを熟知していなければ求めても答えの出し様が無い筈です。
確か、是川先生の御言葉だったと記憶していますが、
「世間知らずの人が、相場で勝てる訳ありません。
様々な見方をする人も多いが、商い事の本質とは、人と人との思惑で成り立っているものです。」
この様に商業の師から、伝え聞いた事があります。
問題は、単に知識があり知っているだけで済むのなら、学者が世の中全ての分野で成功者に修まっている筈ですが、
娑婆世界はそれ程、甘く無いと言うのが実情です。
料理や罫線など、その一番良い具体例ではないでしょうか?
「カラオケが上手いだけでは、売れっ子歌手に成れない」
誰でもが当たり前に承知している事ですが、自意識過剰や欲目に駆られると『己の器』が何処かに飛んでしまう。
この様な状態が、身を滅ぼす切っ掛けに成る一番の素です。
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| 2006年9月16日(土) 切っ掛け論@ |
何を如何記したものか迷いますが、人間の性(さが)とは悲しいもので、幾ら他人が口出ししても如何にか成るものでもなく、
只々、祈る事のみである場合が実に多いものです。
師匠の受け売りに成りますが、
「人は、己の器以上に大きな事を望んでも、それは叶わぬ夢。
自身の程度を知る事こそが、現実の勝機を得る近道。
人に感謝せぬ者は人からも感謝されず、人の話を聞かぬ者は人に頼りとされず、縁を得るに人を頼まざるして何を為す。
人に流される者は自身が在らず、勝機を得るに縁と自身が在らずして、何を実らせるのか?」
この様に申されていましたが、最近、この深い意味が段々と理解出来る様に成りました。
物事の有様を探求していると、いつの間にか廻り巡って、自身が愚か者の看板を下げていた事に気が付くものです。
最近、耳にする話は、折角のチャンスをドブに捨てたり破滅に向かい邁進していたりと、この様な話ばかりで、ものの言い様は
なかなか見りません。
誰でも皆、娑婆世界の現実に暮しながら生きているのですから、ある程度の事は仕方なしと割り切り、日々諸行無常の刹那を
見つめていますが、自身の思惑が先走り、目先に捉われ大局を見ずに起こる不肖が余りにも多過ぎます。
今月初めに、「弱り目で転び祟り目で追い打ちに遭うのがオチ」と書いておきましたが、最初は気にも留めない何気ない小さな
切っ掛けが、幾つか重なり、結局は取り返しの付かない大事に進むものです。
何時も言っている事ですが、
「物事は動かした後から、或いは起きてしまった後から対処したのでは遅い、算段と手配りを抜からず、予兆を見逃すな!」
折角、警告しておいても他人事にしか感じられず、自身の事と受け取らなければ、相応の道を進むのも当然の成り行きです。 |
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| 2006年9月11日(月) 雑話 |
夏期収穫予定の玉蜀黍は、長雨が崇り碌な物には成らず散々でしたが、冬期収穫の農作物は白菜等の植付けを準備して
楽しみにしております。
土曜日に出かけた際、ホ−ムセンタ−でキャベツの苗が1本50円なのを見かけ、思わず意味も無く衝動買いしてしまいましたが、
良さそうな苗でしたから早速、植え付けをしました。
昨今は、異常気象の為、野菜が高騰し易く、実生活にも役立つ趣味に成っております。
私には、物事の成り行き、農作業であろうと相場であろうと諸事万端の原理原則は何事に於いても同じ事に見えます。
常日頃から『実修実証』を心掛け、理論と実習の研磨に努めているのですが、前回前振りをしておいた『物事の調和』と言う
課題は、一つの難題に成ろうかと思います。
因みに、調和の語意を辞書で調べてみると、以下の様にありました。
◆調和・・・両方、全体が、具合よくつりあい、整っていること。 そのつりあい、整い。 (以上、岩波国語辞典より、転載)
諸々の必要性から、この課題に取り組もうと考えていたのですが、歴史上の大哲学者さえ悩ませていた難題なのですから、
そう簡単には、整理が付きません。
そこで、徐々に進めようと思いましたが、9月は所用も多く、少し先送りにして気楽な雑話から入りたいと思います。
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| 2006年9月2日(土) 夏休みの終り No.81 |
8月も何と無く過ぎてしまい、今年の夏は暑かったのやら涼しかったのやら余りハッキリしない年でした。
私も夏休み等と世間様並みの真似事をしますと、後から厄介が押し掛けて来るもので、反って手間が掛かり面倒な事です。
元々、退屈性ですから何かしていないと手持ち無沙汰に成るのですが、夏枯れ時に商い事を考えても碌な目に遭わないので、
日がな一日全く何もせず、唯々時の過ぎ去りし移ろいを楽しんでおりました。
流石に三日も呆けていると退屈してしまい、アレヤコレヤ考えが巡って来るもので、思わぬ閃き等もあるものです。
人の心には、『動と静』の調和を保つ事が、何事に於いても大切であり、メリハリが肝要かと思います。
時々、何かに取り憑かれた如く駆け抜こうとする人を見かけますが、大方は弱り目で転び祟り目で追い打ちに遭うのがオチです。
さて、どうしたものか?
もう少し、気の利いた書き方をしようと思いましたが、雑作に追われてしまい、前振りだけして於いて次回からにします。
(追伸)
時々、質問などのメ−ルを戴きますが、『件名』だけは明確に記載するよう御願いします。
最近も数通ほどの質問か用件か、何がしかのメ−ルを戴きましたが、件名が不明瞭なので読まずに削除しました。
何分、1日100通以上もの破廉恥メ−ルやら押売りメ−ルが送りつけられて来るので、折角戴いたメ−ルでも件名の不明瞭な
際は、迷惑メ−ルとして一緒に処分しております。
内容により、迷惑メ−ルの扱いに成ってしまう場合も多いそうなので、この所は予め御了承下さい。
質問等がありましたら、下記の掲示板下方の左側にある『管理者へメ−ル』ボタンから、メ−ルを御寄せ下されば幸いです。
http://8607.teacup.com/daidamonk/bbs
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