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| 2006年8月12日(土) 成功について一言B No.80 |
今週は、先週と打って変わり誠に嬉しい知らせが届き、心から喜びに満ちています。
危うく人間を廃業する所だった者が、今や大きなチャンスを目前にする程、成功に近付きつつあるのですから、人間は心掛けと
行いが何より大切であると改めて実感する次第です。
本人も大いに精進し相応の結果を得られたのでしょうが、今後とも『縁』の大切さを忘れず確り噛締めていて貰いたいものです。
そうすれば、何度でもチャンスは巡って来ます。
反面、縁を粗末にして折角のチャンスを逃してしまうと巡り合せの運行は歪みを生じてしまう為に鈍化しますので、運行不順の
悪循環に陥り、段々と先細りに成ります。
思い当たる節のある方々は、手遅れに成らぬ様、肝に命じて置く事を御勧めします。
さて、本題です。
成功と一口に言いましても『自身の目標に到達すれば完了する場合』と『他人様の評価を伴わなければ完了しない場合』とに
分けられるかと思います。
例えば、受験や趣味と言った類は自身の目標が達成されれば満足を得られるもので、要は本人が、どの様に納得するか否か
の問題に過ぎません。
しかし、他人様の評価を必要とする成功の場合には、全く事情が異なって来ます。
幾ら自身が、努力しようと才能があろうと対象とすべき第三者に認めて貰えなければ何の意味も価値もありません。
評価に対する不平不満を抱く殆どの人の場合、物事の不順を周りの環境や他人様の所為にして、逃げ道を設けながら自身の
正当化に勤めます。
本人からすれば、懸命に職責を全うしている積もりでも、第三者の視点に立つと見当違いの努力を重ねている場合が大方です。
仮に、問題点を解決すべく要因を指摘し改善策を提示したとしても、指摘を受ける側の心中では、自身の思考と行動が『最善』
であるが故に、自らが不利と成り得る状況判断は打ち消してしまい、他人の指摘は単なる『責め立て』にしか受け取れません。
自身の都合で歪んだ視点を基準に、相手側を納得させようと目論見勇んで見ても評価が高まる所か、その時点で話は終わり
受け入れさえ拒否されます。
つまり、他人様の力を借りて成功を修めようとするならば、相手側の評価が先ず大切であり、 『相手が何を自分に望んでいるのか? それに対する自身の取り得る手段と示せる結果は如何なるものなのか?』
ここが蔑では、相手も納得せず高い評価を与えてくれる事など絶対に有得ません。
大方は自身の都合や希望を優先してしまう余り、現実の状況や環境を受け入れる事が出来ず自身の正当化に固執してしまい、
相手側の要望とは懸離れる為に、両者の成果に対する評価の度合いは相当な温度差が生じ事態を悪化させます。
この点を他人様に付け入れられると、追い落としをする絶好の口実を与えます。
以上は、初歩的な一般論に過ぎませんが、この程度の事も頓着無く後先を考えない人が多過ぎるので、取敢えず記す事に
しました。
本来は、この程度で済む簡単な話ではなく実に奥の深いものなので、もう少し詳しく話さなければ解り難い所も多いのですが、
この程度にしておきます。
縁があれば、気が向い時に何かの機会で話す事もあろうかと思います。
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| 2006年8月5日(土) 成功について一言A |
随分長い前振りをしましたが、前回に引き続き『成功』に付いて述べたいと思います。
『成功』の意味合いを辞書で調べて見ると、
◆成功:目的をうまくなしとげること、富や地位をえること (岩波国語辞典より、転載)
この様に記されています。
少し詳しく述べるならば、「目的を達成する為に与えられている条件を運用した結果、目的が成就した場合」を指します。
つまり、『目的』が無ければ、始めから成功は存在していません。
仮に、目的があっても『条件』が揃わなければ成功に導く手段がありません。
更に、目的に叶う条件が整っていても『運用』に失敗すれば成功には至りません。
結論を言えば、人生、ビジネス等に於ける成功は、これが原理原則の全てであり、華僑であろうとユダヤ人であろうと大阪商人で
あろうと、これ以上でもこれ以下でも無い話です。
目的のハ−ドルが高ければ高く成る程、整える条件の難易度も高くなり、それに従い運用方法も困難に成って行きます。
ですから、幾ら目的が素晴しくとも現実離れした妄想に近い内容だと、始めから成功など無理なのが道理と言うものであり、
仮に実現可能な目的を掲げ、それに見合う条件を全て整え様と試みても、全ての条件が完璧に揃えられる事は、これもまた
不可能に近い話です。
同じ条件を与えられたとしても、その時点で受け取る側の人により、それぞれの条件は違うものへと変化を始めます。
当然、取るべき運用方法も違って来るでしょうし機の熟す時節も違って来る筈です。
この部分を同一視してしまい物事を画一的に捉える為、反作用の部分を増加させ歪みを生じているにも拘らず、相応の対処が
施されずに経過してしまう事から失敗要因の蓄積と成ります。
手掛ける物事の規模が大きく成れば成る程、幾ら有能であっても単独で完全無欠を期待する事は、多くの矛盾を抱えてしまい
同時に反作用の危険も増すので、不足分の必要性を他者から借り受け無ければ、反作用は全て自身が背負う事に陥ります。
他人様から、足元を掬われ易い傾向にある人の殆ど全てと言って良い位、この部分を蔑にしており、その結果、背後は延々と
脅かされ続け、何時までも苦悩が絶えません。
目的を達成する為には、頃合を図りながら手順良く手段を講じなければ成らず、人それぞれ持ち合わせている条件と機会は
全く異なるものである事から、その都度対処方法も各人に合わせて進めなければ相応の果は顕れなく成ります。
世にある成功マニュアルの類は、以上の原理原則を骨格として気の利いた端切れを取って付けた様なものですが、理屈で
世の中が全て思い通りに進むのならば、少々知恵のある小利口な者は誰でも成功してしまい苦労などありはしません。
そうは言うものの希望を持ちながら生きて行かないと面白く無い人生を過ごす者達が退屈凌ぎに好き勝手な振舞いをして、
社会に悪い病気を蔓延させても困るので、何か成功の手掛りに成り得る良い知恵を挙げるとするならば、『人の話を聞く事』
だろうと思います。
目利きの能力や嗅ぎ付ける能力は、往々にして特異な才能を必要としますが、コミュニケ−ションを大切にする事なら、比較的
誰にでも無理なく実行可能であり、有効なヒントを得られる機会を得るのに役立つものと思います。
唯我独尊状態で落とし穴に嵌り再起不能と成ってから、気が付いても大方は手の施し様が無い事態に進んでいるものです。
もう少し書き加えたい所ですが、次週に回します。
実は苦虫を噛締めながら、この文章を書いておりますが、折角『予兆』が出ているのにも関わらず有効に対処出来ない場合が
多々あり、娑婆世界は苦界であり、諸行無常なのだと肌身に実感しています。
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| 2006年7月29日(土) 成功について一言@ |
未だに梅雨が明けず、今週も何やらハッキリしない陽気が続いており、脳細胞にもカビが生えそうです。
この様な日々が続いている為か、ゴキブリやらムカデやら虫螻共が家に侵入し遭遇する機会も増えました。
大人しく雨宿りしている分には、武士の情けで大目に見る所ですが、生活圏を拡大すべく活動を始め出し油断も隙もあったもの
ではありません。
うかうかしていると北方領土や竹島同様、好き勝手に占拠された挙句増殖されては誠に不快であり迷惑な話です。
殺生を望むものではありませんが、『害に成るものは後顧の憂いを断つべく退治すべし』であり、のうのうと蔓延らせていたの
では、先々の障害にしか成らないものです。
ゴキブリの場合は意外と警戒心が強く、『ゴキブリ・ホイホイ』を何の考えも無く適当に置いた所で捕獲できませんから、通り道や
根城と思しき拠点など効果的な場所に仕掛けようと、毎度の事「何処に仕掛けたものか?」と思案をj繰り返しています。
よくよく見渡して見ると、人間同士の世も互いに『ゴキブリ・ホイホイ』を仕掛け合っている様なもので、「生きる為には仕方の無い
娑婆世界の定め」と言うものですから、自身の分別が自身を救う術に成ろうかと思います。
しかし、この世には他人様が仕掛ける『ゴキブリ・ホイホイ』のみならず、自身の心が作り上げてしまう『ゴキブリ・ホイホイ』も
存在しており、この自身の心が作り上げた罠の中に入り浸り、悦楽に溺れ自身の姿すら忘れてしまう人達は実に多いものです。
『ゴキブリ・ホイホイ』も粘着糊がなければ、ただの紙箱に過ぎませんから何の問題もありません。
反って、出入り自由な適当な居場所として都合が良い位です。
他人様が仕掛ける『ゴキブリ・ホイホイ』は容易に見分けられるのですが、自身の心が作り上げてしまった『ゴキブリ・ホイホイ』は
無比無類の甘露で酔い痴れさせますから、どの様な不祥を招く事であろうと酔夢の中では極楽としか映っていないものです。
「この様な罠に捕われている末路は如何なるものか?」と言えば、実物の『ゴキブリ・ホイホイ』の末路と何ら変りありません。
『ゴキブリ・ホイホイ』に掛かったゴキブリ共を昆虫採集の標本として、綺麗に飾る物好きは居ないでしょうから、ゴミ箱に捨てられ
ゴミの回収日に清掃車で廃棄処分場へと運ばれたら、それで仕舞いです。
人間に例えるとしたら、差し詰め、他人様に始末されるのか、宇宙の魔人の餌に成るのか、酔い痴れたまま時の移ろいと共に
朽ち果てるのか、精々、この程度の末路が関の山と言った所です。
人は誰でも心の中に、この様な何かしらの『ゴキブリ・ホイホイ』を持ち合わせているもので、人の性とは消し様がありません。
無理に消し去るよりも、この様な罠から粘着糊さえ取り除けば、それで充分だと思うのですが、それ自体、本人自身がその気に
成らなければ、他人の力では如何し様も手の施し様がありません。
私自身、この様な破目に陥らぬ様、日々、曇り無き目を保つ修練を欠かさずにいます。
「どうすれば、良いでしょうか?」と何かに付けて、多くの人々から様々な救いを求められ散々尋ねられましたが、他人を喰らい
生き長らえる側から見れば、『救い』などと言うものは余計な御世話に過ぎず、『人間社会の食物連鎖を勝手に壊す事』に他成り
ません。
生物界に於いて、「捕食動物は、殺生をするので怪しからん!」と見境無く駆除してしまうと生態系全体が崩れるのと同様です。
それ故、私も物事の道理に従い、誰彼無しに縁の無い人と関わり合いを持ち、手を差し伸べる事は出来ません。
ただ、縁のある人ならば、『チャンス』が見出せる場合、何がしかの御手伝いをする事にしています。
「縁を広げ、機会を窺い、時を待て!」
どの道、『成功』を掴むには、最低限必要な事だろうと思います。
次週に続く
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| 2006年7月22日(土) 質問に対する回答 |
今週も何かと話題の尽きない週でしたが、米国経済情勢に付いての分析に注力していますので簡単に記載します。
「為替取引をする上で、FOMCや日銀の金融政策を予測する事に、どの様なメリットがあるのか?」
とのお尋ねを戴きました。
この回答は、それぞれ立場により幅の広がる話ですから、何とも言い様がありません。
私的な事を申し上げれば、市場の話題が専ら金利なので、金利関連の分析に注力しているに過ぎず、注目のネタが変われば、
そちらに移るだけの話です。
ただ、中央銀行の政策は市場に大きな影響を与えるので、今後も変わりなく注視するでしょうが、政策を予測する所まで必要とは
思っていません。
『皆は何を考えているのだろうか?』こちらを把握する事の方が大切ではなかろうか?この様に考えています。
あれこれ知りたく成ってしまう癖があるので、色々始め出すと興味深い事柄が多く、ついつい脇道に逸れがちと成るのですが、
何かしらの収穫が得られ、楽しくて止められないと言うのが私の本音です。
先週書きました狩猟民族とは『売買を中心』にした考え方、農耕民族とは『運用を中心』に据える考え方を含ませた積もりです。
どちらも結果だけを考えれば同じに感じますが、イモリとヤモリ程度の差はあるかと思います。
狩猟民族の弱点は波が不安定である事から持久戦に弱く、農耕民族の弱点は低カロリ−による瞬発力の不足にあります。
美食では無いかも知れませんが、低カロリ−に我慢しながら機運を待ち実力を蓄えていた方が、後々の実りは段々と多く成り
何時しか不自由はしなくなると思うのですが、何をどの様に捉えるのか?物事の価値観は人それぞれです。
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| 2006年7月15日(土) 今週の寸評 |
今年は、5月中頃から梅雨の様な天候が続き日照不足の為、作付けをした玉蜀黍の生育が悪く、漸く真夏シ-ズンの到来を
予感させるものの7月中には自家栽培の焼き玉蜀黍が堪能出来そうにもありません。
ここも「待つは仁」と言った所でしょうか?
旬ですから八百屋に行けば幾らでも手に入れる事は出来ますが、これでは真の旨さを味わう事は出来ません。
玉蜀黍の食味は兎も角として、実は農作業から得られる諸々の方が遥かに役立つ事が多く値打ちがあります。
農耕民族が狩猟民族の真似事をしても上手く行かないのは、受け継がれた文化的土壌に因る事も大きく影響する所ですから
これは仕方ありません。
それならば、始めから自身の特徴を生かしながら歩んだ方が、楽により好い成長が期待出来るものと思います。
結果だけを追い求めるのも一つの生き方ではありますが、過程を模索しながら試行錯誤を繰り返し向上を心掛けて行くのも
息を長くする秘訣です。
さて、今週の注目としては日銀のゼロ金利解除にありましたが、私的には3月の量的緩和で、6月か7月の利上げと見込んで
いましたから概ね予測通りでした。
時期が7月だけに、次回の利上げは年内にもう一回なのか?来年早々になるのか?ここは10月までの指標を見ない事には
何とも言えない所で思惑を巡らせています。
来週以降は米国のPPI、CPI等注目指標の発表とFRB議長の議会証言が残されている事から、8月8日のFOMCの利上げを
織り込む動きと成るでしょうが、日程的な要因を考慮すると大所は夏休みシ−ズン真っ盛りと成り、来月の末頃迄は夏枯れと
言った所でしょうか?
インフレ指標等から判断する限り8月は利上げして、利上げを見送るとするならば、政治的にも9月20日の方ではなかろうか?
この様に見ていますが、これも原油価格動向に大きく左右されそうです。
これら一連のイベント終了と共に私も夏休みモ−ドに入りますが、当面は備えの態勢で分析や研究に注力したいと思います。
(素晴しいセミナ−関連情報)
10日(月)に、MJ主催のオンライン・セミナ−に参加しましたが、『ヘッジ』に関する用法で、大変素晴しい内容でした。
講師の和田仁志氏は、具体例を盛り込みながら丁寧に解説してくれましたので非常に理解し易く、これから為替取引を始め
様と考えている方々には、又と無い講義内容だったのではなかろうかと思います。
今回のセミナ−は知名度が低くかった様な印象を受けましたが、『受講しないのは大損』と言える内容です。
私が相場を伝授された時に、相場の師匠達が一番力点を置いていたのは『ツナギ』、つまり『ヘッジ』の方法でした。
為替に転向しから、それまでのツナギ方法を自分成りに改良しましたが、和田仁志氏のセミナ−に参加すれば誰でも無理なく
理解出来る様に成れます。
この様なテクニックを身に付けられれば、多くの方々が為替取引に参加出来る様に成れるものと思い、是非シリ−ズ化して
戴きたいと心から願うものであります。
又、アンケ−トに答えた所、「為替の教室」 三沢誠 著 (定価1260円)を頂戴しました。
この本は、為替取引で必要なポイントが簡潔に書かれており、初学者には何としても手に入れておきたい良書です。
どうやら、本屋では販売していない感じですが、MJに資料請求や口座開設するとプレゼントして戴ける様です。
詳しくは、MJのホ−ムペ−ジ http://www.mj-net.jp/ こちらを参照下さい。
昨今は、内容の充実した素晴しいセミナ−が次々催され、講義内容の質は著しく向上しています。
講師陣の枠が拡大し厚みも増して来たので誠に歓迎すべき事なのですが、善悪の判断は別にして人気講師に成ると様々な
活躍の場が与えられる様に成り、それ以外の人は何時の間にか廃れてしまうと言った大学入試予備校の講師と似た様相を
呈して来たかに思えます。
この傾向は益々加速するでしょうが、人気取りだけ先行しても困る話で、誰彼問わず何かに付けて人選が重要と成る筈です。
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| 2006年7月8日(土) 今週の寸評 No.75 |
今週も引き続き分析に注力したいと思いますので、簡単に記載します。
今週は注目の雇用統計に思惑を呼びましたが、「何処をどうしたら、あれほどの強気な予想に成るのか?」全く不思議でした。
諸々の指標を読み直して見たものの矢張り、「そんな、アホな〜」と言った状態です。
切っ掛けと成った話の出所は業界筋には知られた民間調査会社なのでしょうが、今迄話題にも成らなかった所に突如注目が
集まり、皆一斉に走り出すのですから可笑しな話なのですが、相場には良くある事であり、蓋を開ければ、「あ〜、矢張りな」と
言った所です。
思惑が当たり『ちょうちん筋』を平らげた仕掛人達には、さぞかし美味しかった事でしょう。
その他大きな話題と言えば、北朝鮮によるミサイル発射だろうと思いますが、私の見方は一般報道と違います。
マスコミや政府筋関係者は事実関係を承知していても滅多な事は口外できないでしょうから、仕方の無い事かも知れませんが、
それにしても多くの日本人は、大いに『平和ボケ』しております。
武器・弾薬・燃料の大方を中国に依存し食糧支援を中国と韓国に仰がねば成らない北朝鮮が、宗主国である中国の意向を全く
無視して何が出来ると言えるのでしょうか?
確かに一連の流れを個別に扱えば、報道の通りに成りますが、物事はそれほど単純で御気楽ではありません。
日本を見てもアメリカの意向を無視して成立しないのと同様であり、北朝鮮の場合は日本よりも遥かに切実です。
折りしも中国は、尖閣列島の海洋調査を行っている最中であり、韓国も日本の要請を無視して竹島の周辺海域を調査しました。
『形ばかりの遺憾』と多少物資輸送を止めた所で、単なる見せ掛けに過ぎず真意は別にあると全て『行い』に顕れています。
「中国は面子を重んじる国柄」とは良く言いますが、そこの裏腹には常に『実利』が伴い駆け引きが隠されているものです。
疑似餌に踊らされ右往左往している様では、好い様に手玉に取られ『カモネギ』に成るのが『オチ』なのは当然の成り行きであると
言えます。
上記二つの話は、本来全く別次元の話なのですが、私の目には『人間の業に大差なし』、この様に映ります。
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| 2006年7月1日(土) 秘訣は? |
今週は分析に注力したいと思いますので、簡単に記載します。
世間では、諸説飛び交い様々な思惑が掻き立てられます。
しかし、所詮は人の為す業であり、何らかの手掛り等が存在しているものです。
推理小説は空想の絵空事なので全く興味を持てませんが、経済の読み解き程、面白く感じるものはありません。
娑婆世界の出来事など事象の違いはあれど、原理原則は全て同じ事です。
この前も誰かに尋ねられましたが、秘訣は『良く見極め良く聞き分けて、嗅ぎ分ける』
これに尽きると思います。
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| 2006年6月24日(土) 三猿の教えについて |
相変わらず所要が立込み何も書く事を思いつきませんが、今週は又と無い幸運に恵まれ絶好調な事から、『三猿金泉秘録』の
三猿について少しだけ話をして見ましょう。
日光の東照宮等でも有名な『見猿、聞猿、言猿』の三猿ですが、一般的には人生論を説く上で、「見ざる、聞かざる、言わざる」
の意味合いで知られていると思います。
この時の並び順に諸説ありますが、大切なのは意図であり順序ではありません。
詳細な説明を始め出すと薀蓄が相当長くなるので、師伝を掻い摘んで説明します。
その前に何故『猿』なのかと言えば、本来は動物の猿ではなく、『三尸蟲』と言う道教に伝わる『神通力を持つ虫』が本義です。
この三尸蟲と言うのは人体に寄生しており、『庚申の日』の深夜、宿主が寝ている間に天帝の所へ赴き、日頃の行いを報告し
宿主の罪状に応じ天運を定めたり、病を起こして宿主を懲らしめたりすると言う信仰があり、子供の頃見た『ゲゲゲの鬼太郎』
にも『三尸蟲』の話は登場した記憶があります。
道教の『天帝』と仏教の帝釈天が同一視され、帝釈天の使令(神仏の使い)が猿である事、この『庚申』の和訓が『金兄猿』で
あり、叡山の護法神である日吉大社の使令も猿であることから関連付けられ、三尸蟲を猿に置き換えて『不見不聞不言』の
三緘の戒めを説いたものです。
因みに、『三尸蟲』は、清姑、白姑、血姑の三種類いて、それぞれ人間の頭、腹、下半身に住み着き常に見張りをしています。
「見ざる、聞かざる、言わざる」だけでは、頭部の清姑対策は出来るのですが、残り白姑、血姑の対策が不完全である事から、
四猿で股間を押さえさせ、五猿で腹を押えており、説法上の解釈としては、四猿で「せざる」、五猿で「腹を立てざる」が相当に
成ります。
これら三尸蟲は、サントニンなどの駆虫薬を服用しても全く効果はありませんので、日頃の心掛けが何よりも大切と言えます。
『庚申会』は平安時代、宮中の行事でしたが、室町後期から江戸時代に掛けて庶民の間でも盛んとなり、商家、農家、職人にも
厚く信仰されました。
特に、運を頼みにする職業で尊ばれた様です。
もう少し三猿の教えに触れて見ると、生物生体上の問題は別にして、
「人間様よりも3本毛の足りない猿は、如何なる説法が適うや否や?」との問いに成ります。
もし、人間よりも愚かな猿が範を示せるとしたら、『愚行の猿真似』以外他ありません。
つまり、
「分別の可能な人間が愚かな猿と同じ事をしていたのでは、猿よりも遥かに愚かであり、何が愚行であるのかを良く見定めよ」
との意が含まされており、
「目を覆わざる、耳を塞がざる、口を閉じざる」と「見ざる、聞かざる、言わざる」の両義を合わせ持たなければ、尾のある猿と
同類である。
この様に説かれます。
師曰、
「移り行く物事の有様から目を反らさず、金言を聞き、知らぬ事は尋ねよ。
法(仏法)に背く事は、見るな、聞くな、言うな。
例え猿と言えども、この教えを一心に守れば悟りに至る。」
との教えです。
『三猿金泉秘録』の序文の最後に、「秘すべし秘すべし」とありますが、この表記を入れた場合、業界では文字に表す事を
浅秘の教えと称し、深秘の教えは文字にしません。
誰が見ても構わない様に差障りの無い表記にしてありますが、深秘の部分は悟られない様、口伝や何気ない言葉の中に、
深い意味合いを含ませておきます。
「三猿が秘密であり、金泉録が極意の体を成している」
これだけを聞けば、この本を読まなくとも何を示しているのか、解る者には直に理解出来る様にしてあります。
この類の書は、当時の庶民階層には到底知りえない秘事を多く含んでいますから、牛田権三郎に限らず本間宗久も自身の
経験則を記しただけではなく、相当な額の御布施を積んで最高峰の知識を求めたのだろうと推察出来ます。 |
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| 2006年6月17日(土) 思い付き |
今週は、所要が重なり何も書く事を思いつきません。
漫画家や小説家が締め切りに追われると言うのは良く聞く話ですが、この様な取り留めも無い掲示板でも週一回の掲載を心掛け
ると、「何を取り上げようか?どうしようか?〜」など、意外と思案する事も多く面倒なものです。
『継続は力成り』とは申すものの「労多くして功少なし」では、時間を無駄に過ごしている様な気持ちに成りがちです。
反面、この様な所で言いたい放題していると時には良い事があり、疎かに出来ないもの事実です。
以前、『賞賛すべきセミナ−の発見』と題して、鈴木隆一氏のセミナ−を賞賛致しましたが、鈴木氏には早速、ご利益が出た様で、
外為どっとコム主催によるWEBセミナ−が実現の運びと成りました。
氏の人徳によるものでしょうが、ポイントを懇切丁寧に解説をしてくれるセミナ−でありますから推奨致します。
先着500名なので、早めに申し込まれる事をお薦めします。
http://www.gaitame.com/seminar/seminar.html#online (詳しくは、外為どっとコムホ-ムペ-ジより確認下さい)
大多数の人達にとり、『無料セミナ−』などと言えば、「その会社の宣伝に過ぎず、無料なのだから如何でも良い内容」と思われる
かも知れません。
大方は、その様な方向で間違いないと思います。
しかし、中には経費と手間隙が相当に掛けられ、少ない人員と経費を遣り繰りしながら、「人を惹きつけられるように!」と企画の
充実を努力している場合もあり、内容を見れば、その会社の顧客に対する姿勢や講師の人柄と言ったものも透けて見えるのは、
寧ろ自然な流れです。
講師自身何を勘違いしてか、物事を甘く見過ぎているセミナ−も見受けられますが、その様な事は大間違いであり、何時までも
通用するほど世間は甘く無いと予め承知しておくべきでしょう。
投資家と言うのは、芸能人の追っ掛けとは違いますから、講師に対し熱狂する必要は何処にもありません。
しかし、利用者の側で「見たら見っ放し、聞いたら聞きっ放しの知らん顔」、これでは企画者との間に良い関係など到底保てず、
どの様な素晴しい企画内容であったとしても何れ姿を消す事に成ります。
昨今、「乗り逃げ、遣り逃げ」は一般社会の風潮らしいですが、因果応報、何れ形を変え自分が食い逃げされるのも道理であり、
この様な心掛けでは、勝負師に必要不可欠である『天運』を保てる訳無いのです。
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| 2006年6月10日(土) 兵法の一端 No.71 |
何事に於いても『時期と手立て』により、その成果の有様は大きく違い、同じ作業をしても時期によっては成果が全く逆転したり、
タイミングは同じでも工程を入れ替えると矢張り成果が逆転したりします。
私が良く使う例え話で、
「スイカの種を手に入れたら、春に種を蒔いて夏に収穫しろ、秋に種を蒔いて芽が出たとしても冬になれば枯れてしまう。
それでも秋に種を蒔く必要があるのならば、予めビニ−ルハウスを用意しておけ。」
と言うものがあり、この時のスイカを『成果』、種を『チャンス』と置き換えて戴ければ解り易いと思います。
つまり、チャンスを手にしても『時期』か『手順』かのどちらか一方でも見誤ってしまうと成果は覚束無く成ると言いたいのですが、
大概は、『何の用意も行わず秋に種を蒔き、寒さで枯れ始めてから漸く季節に気が付く』と言った場合が多く、立ち枯れてから
慌てふためいても如何にか成るものではありません。
時期を間違えても手当ての施し様により、実を付ける可能性はあり得ますし手順を間違えても運良く助かる場合はあります。
しかし、必要以上の手間隙を掛け無ければ成らなかったり、如何にか運で助かっても二度目は『御陀仏』と言う嵌めに陥ったり
するもので、始めから『旬』を捉え要領良く物事を運ぶ方が、楽に大きな成果を得られると言うものです。
「楽して成果が大きいのならば、これほど結構な事は無い」と思うのですが、人には、それぞれ各人の『思惑』と言うものが働き、
無理な事柄でも自身の思考が一番優先して大局を見失い、不備のまま事を動かすから不肖を招くのです。
「縁を広げ、機会を窺い、時を待て!」
私の持論ですが、この時に大切なのは、『何時如何なる時にも動ける様に基礎を固めておく』、この状態を維持出来て初めて、
『チャンスを待てる状態』と為り得ます。
確かに、これらの事柄は言うには容易いのですが、誰にでも簡単に見極められ実行できる程、気軽な事ではありません。
されど、聞く耳を持ち合わせてさえいれば、何処からともなく『天の声』とは聞こえて来るものであり、それを真摯に受け止めるか
否かは、全て本人の心掛け次第です。
昔から、『名将・名相』と謳われる人達の影には、必ず優れた軍師が控えています。
物事が大きく成れば成る程、深く成れば成る程、『道理の見極め』により、物事の成り行きは左右され、成否を決するもので
あります。
己を知り不足を充分に補う事が出来るのならば、『成就』と言うのもこれ又道理に他成りません。
『誰にでも掴めるもの』、『何と無く掴めるもの』とは移ろい易く、大方は根を生せるだけの力が備わって居無いものです。
ゴ−ルデン・ウィ−ク以降、電話口で同じ様な事を幾度と無く言い続けていたら、誰に何を言ったのかスッカリ忘れてしまったので、
各人この掲示板に記した事が基本であると心得て下さい。
個々の事象に違いはあれど、『時期を違えているのか?』、『手抜かりがあるのか?』なのですが、「因を求め縁を判じ果を計れ」
この一言に尽きます。
(追記)
外為どっとコム主催のWEBセミナ−、マット今井「これから外貨投資を始める人へ」に参加させて戴きましたが、解説は解り易く
素晴しい講義内容なので、賞賛したいと思います。
一度、会場で主催されるセミナ−にも足を運びたいのですが、なかなか抽選に当りません。
縁がありましたら、出席したいと思います。
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