大太法師語録 『探求雑話集』

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2006年4月5日(水)  雑談  No.60 
 中国の話題に入ろうと思いましたが、風邪の為に頭痛が辛く延期する事にしました。
季節の変わり目に風邪を引くのは、体が気候に馴染ませようと歪を埋める為に風邪を引くのだと、台湾の道士に聞いた事が
あります。
昨年の秋から、キュ−サイの青汁を飲んで居る為か、冬の間は体調を崩しませんでしたが、知らずの内に歪は出てしまう様です。
このような時は、何をやっても上手く行く例がないので休む事にしています。
ついでに言えば、運の無駄使いは、この様な時にするものです。
物事、巡り合せも大切ですから、押しも機を見ないと気を枯らす事に成ります。
2006年4月1日(土)  嘘の様な本当の話
 本日は、中国に対する外交問題や某政党の事など諸々を書きたかったのですが、4月1日と言う事で、本当の様な嘘話を書き
込もうと思いました。
外国の新聞等では、この日はイベントが盛んで、世間を「あっ!」と言わせる様な面白い記事を書こうと懸命のようです。
私も月曜日から、何か愉快な嘘話を考えていたのですが、いざ考えて見ると小説家や漫画家の様な空想に満ちた話は全く思い
つかず、才能が無い事に改めて実感した次第です。
そこで、『嘘』に纏わる話をしたいと思います。

最近は、コンピュ−タ−や精密機器の精度が目覚しい進歩を遂げ、同時に『嘘発見器』の様な観測機器の精度も向上しています。
所が、ある筋の人達に言わせれば、普段、嘘のない生活を営む者が、何かの弾みで嘘をつか無ければ、ならない環境に置かれ
精神的圧迫を受けた時には有効だが、嘘そのものの人生を送っている者には効果が無いとの事です。
私の知った者の中には、「医者や学者の様な世間知らずを騙すのは、算数をするより簡単」と言って除けた者もいましたが、
心理的分析にも海千山千、護摩千相手には限界があるようです。

 私が修行中だった、ある日の出来事。
散歩をしていると初老の紳士に呼び止められました。
見た目には、上品そうな身形で中小企業の社長風と言った感じであり、口調も丁寧、人の良さそうな、『オッチャン』を装って居る
ものの、どこか堅気では無い感じがするので、関わり合いを避ける為、けんもほろろにあしらったのですが、さすがは海千山千、
護摩千の事だけあり、上手に話を繋ぎながら、ナンノカンの言って私の話を引き出そうとします。
余りに粘るので、仕方なく相談に乗る事にしましたが、見返りに何か面白い話をしろと言った所、
「騙されるのは欲に釣られるからで、この世に、美味しい話は転がっていない。
他人が美味そうに見せている時には、目的がある為で、本当に美味しい思いをしたいのは本人だけ。
人は、見栄えや体裁に弱く、条件さえ整えてコチョコチョっとやれば、誰でもイチコロ!」
と語っていました。
紙一重の様な気もしますが、ある意味、営業マンやスケコマシにも通じる話だと思います。

警察のポスタ−にも「気を付けよう、甘い言葉と暗い道!」とあり、大変、薬になる良い話だと思い記憶に留めていますが、
如何なものでしょうか?
2006年3月29日(水)  一言申す
 昨今は、誤った博愛主義の為に社会秩序が疎かにされている。
確かに、生命の尊厳を主張する権利と言うものは大切ではある。
しかし、それは社会的ル−ルの尊守と言う義務を果たした上で、生活を営む者に与えられた権利であり、国家転覆を目的に
サリン等を撒き散らし多数の死傷者を出した凶悪な国賊等に、その様な権利があろう筈も無い。
明白な事実にも関わらず、我々の血税を延々と注ぎながら、裁判を引き伸ばさせる必要性が何処にあると言うのだ!
テレビなどを見ていると、「裁判に於いて、被告の口から真実が語られる事が望ましい云々〜」等と寝惚けた事を言う向きも
あるが、真実を語る気があれば、弟子に責任を擦り付けたり、知らぬ存ぜぬで通したりする事も無く、呆けた振り等せず取調べの
段階で既に自供している筈だ。
弁護士にも個々の思想信条というものはあろうが、『誤った擁護は将来の被害者を生む事に繋がる』と言う大きな視点に立ち
社会的影響度を良く考慮した上で弁護活動を進めて戴きたい。
どの様な凶悪犯罪を犯しても精神障害を盾に取り、仮病で誤魔化せれば、何をしても刑罰は軽くて済む等と悪い風潮が蔓延し
社会秩序の崩壊を招く。
最近、凶悪事件に関する報道を目にすると、この手合いが増加しているし再犯も実に多い。

健全な社会秩序を維持して行く為には、残念ではあるが『見せしめ』と言う抑止力は、欠く事の出来ないシステムである。
刑罰を受けるのが嫌ならば、犯罪を犯さなければ、それで済む話なのだから実に簡単だ。
それが守ず、承知の上で凶悪犯罪を犯すようならば、端から更生の余地など見受けられないし、『見せしめ』と成り、命と引き
換えに社会的償いを全うする以外、他の方法は一切無い。

もし、私が「一人の凶悪犯罪者の命」と「先々の犯罪犠牲者を出さない事」のどちらが大切かと問われた場合、何も躊躇う事無く、
「先々の犯罪犠牲者を出さない事」であると返答をする。
女性や子供、老人と言った弱い立場の人を狙った犯罪を未然に防ぐ為ならば、多少の不自由は仕方が無いと思うし、ましてや
国家の一大事に関する事ならば尚更であり、早急に警察力並びに刑事罰の罰則強化を行い対策を進めるべきである。
凶悪犯が好き勝手に振る舞いのうのうとして、善良な者が泣き寝入りをしなければ成らない世の中は、絶対に在っては成らない!
2006年3月25日(土)  日中、米中関係
 今回も少しだけ中国の話題に触れたいと思います。
昨今の日中関係は、『政冷経熱』と言われ、両国の政治的の冷え込み各方面から心配の声もあがっています。
中には、日中戦争や米中戦争を声高に叫ぶ人がいて、面白可笑しく興味を煽っていますが、それは、政治的意図を含ませた
諜報活動かセ−ルス・ト−クの一つだと思い、話は1/3以下程度に聞いておいた方が良識だと思います。
軍事衝突と言うものは、両者が睨み合っている内は起き難いもので、相手に隙が窺がえた瞬時に行われるものです。
この世の中では、無料やディスカウントで済むバ−ゲン・セ−ル的戦争などありませんから、機が熟すと言うのは、諸条件が整い
利が見込めてから、初めて現実化するのです。
話を戻すと、『政冷経熱』状態は、両国の利害が完全に一致しない以上、ある種のバランスを保った形での表現に他成りません。
解りやすく説明すれば、人間は自分より恵まれた環境や条件に憧れます。
そして自分も同じ様な環境や条件を手に入れたいと欲し、その手立てを考え実行します。
この時、簡単で尤も実行可能な方法は、憧れる対象を真似る事から始めます。
丁度、日本が豊かさの絶頂期に会ったアメリカ文化を真似た様なものです。
戦後アメリカは占領国として、日本を統治し易くする為に、日本のアメリカ化を進めていましたから、政治経済全ての面に於いて、
都合は良かったのですが、共産党政権の支配する現代中国では、経済・文化交流が深まるにつれ、豊かさの憧れと成る日本や
アメリカ型の支配システム、精神文化が取り入れられ、それまでの価値観や精神文化が壊れてしまう事は容認出来ない筈です。
つまり、富は欲しいが余計なものまで流入しては困ると、ある一定の距離を置いている事に他ならないのです。
人間とは、自身に同調してくれる存在には歓迎をするのですが、意を異にするものには反発をするものです。
価値観は、それぞれ同一規格の工業品とは違うのですから、個々に事情と言うものがあり、その範囲以内の活動しか出来ない
ものであると承知していなければ、良好な関係は保てません。

何時も言っている事ではありますが、昨今の戦争とは武力衝突のみに焦点を当てていたのでは、時代を読み違えます。
化石の様な思想のままである方々には、何を申し上げても時間の無駄で致し方ありませんが、現代に於いては武力の戦争よりも
経済の戦争の方が、遥かに影響力が大きく深刻な問題です。
穀物、鉱物・エネルギ−資源、技術(軍事技術を含む)これらの争奪戦が、その国自体の生命と財産の鍵を握っているのです。

政治と経済が共に熱い状態に成るとは、社会的支配システムが類似して共通の価値観を持てないと成立しません。
社会的システムの共用が進むと最終的には、『宗教か?民族か?金持ちか?貧乏人か?指導者か?被指導者か?』、
このどれかに焦点は集約されて来ます。
これは、『人類共通の業』そのものと言っても間違いではありません。
物事の本質を捉えていないと、ススキが幽霊に見えたり、痘痕が笑窪に見えたりしてしまうものです。
2006年3月22日(水)  世界との交流  
 昨日のWBS優勝決定戦キュ−バとの試合は、白熱した良い試合でした。
日本が勝てた事も大変嬉しかったのですが、ニュ−スの中でインタビュ−を受けたキュ−バ国民が、日本の健闘を褒め称えて
居たのは、非常に爽やかであり、スポ−ツの祭典を通し互いの友好を深め合う良い機会に成ったものと思います。
確かに結果は大切ですが、その過程で、何が育めるのかと言う事も非常に大切であり、各国とは野球を通じて相互理解と親睦が
深まれば、民間交流も盛んと成り一層素晴しい祭典に成って行くものと期待をしています。
本来、オリンピックやワ−ルドカップも同じ様な効果は望めるはずだと思うのですが、競技結果のみが重視され、対戦相手に
対する敬意と言うものが蔑に成り、無礼な振る舞いが横行しているように感じます。
相撲は、日本の伝統国技ではありますが、外国人力士も増え、海外の注目を集めるように成りつつあり、日本の伝統と文化を
広め日本の良さを知ってもらう良い機会でもある事から、国際的に開かれた競技に発展するよう期待をしています。
役人の外交は、死に金のばら撒きばかりが目立ち、『たかられホイホイ状態』にしか見えないので、国益を確り見据えて職務に
励んで貰いたものです。

 話は変わりますが、つい先頃、買い物帰りに、行き付けの古本屋に立ち寄り、毛沢東語録を見つけました。
私が学生の頃、中国人留学生達は、皆、この毛沢東語録を常に持ち歩いていましたが、私も日本語訳を読み中国人留学生と
政治論議を戦わせ白熱した事を思い出しました。
『蟻ん子の様な社会システムで、人間世界を治め様としても延々と続けられる筈が無い』と言うのが、私の見識です。
この時、「ソ連は経済的に困窮するだろうし、中国も経済システムを大きく換える事になる」と主張しましたが、当時の中国人
留学生達には、頭が悪る過ぎるだの敵国民だのと、散々罵られました。
中には、私の方が正しい認識を持っているとする人も居て、この人達とは親交を深める事も出来て、色々な事を教わり、友情を
深める為にも恐れず本音で語り合う事の大切さを知りました。
議論の結果は、歴史の通りです。
政治思想上の好き嫌いは別にして、中国人の世界観や思想を知る手がかりには、大変参考と成る名著だと思います。
結局、立ち読みしかしませんでしたが、途中で、この企画の新コ−ナ−、『大太法師語録』を掲載しようと閃きました。
私の主義主張の言いたい放題コ−ナ−に成るとは思いますが、何と無く始めてみます。
2006年3月18日(土)  質問に対する回答  NO.55
 今週のドル円相場は、目先の高値から釣瓶落とし的に目先の下値まで落ちましたが、それに関して知らない人からメ−ルで、
「先週からの掲載は、深い意味合いを含ませた話だったのか?」との質問を戴きました。
「基本的には、何を如何捉えるのかは、各々視点や感覚は違う筈ですから、好きな様に解釈して戴ければ結構かと思います」
と言うのが私の返答です。
本音を申し上げると、未だ寿解夢先生ほどの域に達していないので、仮に何らかの予兆を見つけていても、それがどの様な
変化の過程を遂げ発展して行くものなのか?充分描き切れず、堂々と発表する迄には達していません。
寿解夢先生には、諸々の捉え方を御教示戴きましたが、一朝一夕に身に付く程、手軽で簡単な話でありませんから、日々の
マ−ケット・ウォッチを重ね鍛錬を怠り無く行っています。

為替取引を通じて思う事は、「人の心は移ろい易く、理屈通りに全てが運ぶ訳ではない」と実感しますが、娑婆世界の全てを
そのまま映し出した鏡の様であり、単に金銭のやり取りだけに終始した修羅場と言うよりも、人生の修行場として捉えた方が、
金銭だけでなく、目には見えない大きな財産も培う事が可能であると思います。
誰だか忘れましたが、「為替は、飲み屋の女を口説くよりも遥かに難しいですよ!」と冗談交じりに話していましたが、満更冗談
では、無い気もします。

因みに、修羅の世界とは、争いや怒りの葛藤が絶えない世界の事を指しますが、逆に言えば、これらの様々な苦悩を如何に
自身の肥やしとして活かす事が出来るのか?これを問われている世界が修羅の世界であり、逃げ隠れして避けていたのでは、
得られるものなど何も無いのです。
そして、苦悩そのものが、自身にとっての進歩や発展の種を宿していると知る時、修羅の世界の深意が理解出来ます。
自ら進んで修羅場に赴く以上、転んでも草ぐらいは掴んで置かないと、何の土産も無く弾き飛ばされたのでは意義がありません。

今日は、彼岸の入りですから、何か有難〜い話を書こうと思い、昔、ミヤコ蝶々さんと世間話をした時、大層喜んでくれたネタを
披露したかったのですが、又の機会に譲ります。
2006年3月15日(水)  人生の教訓
 私の基本的人間観は、『人は間違うもの勘違いを起こすもの』と言うものであり、多少の事は仕方が無いと思っています。
しかし、『故意』と言うものがあり、それが発覚した場合は、仕方なしで済ないのが世間と言うものです。

昨今の日米野球で問題になった判定は、如何観ても故意としか思えませんが、この国の国柄と言うものは、大東亜戦争以前
から、恐らく開拓時代以来、ず〜と何ら変わっていない筈です。
背に腹は換えられない状態に陥ると、『何でもありモ−ド』に突入し恥も外聞も見境が無く成ります。
この様な一種の悪癖でも友人と感じるのなら、良く理解した上で、お付合いをしないと嫌気が差し長続きはしません。
もし、立場的に弱いのならば、長いものに巻かれておくのも致し方の無い事ではあります。
これは、人間関係にも当て嵌まる事だとは思いますが、そうは言っても、誰しも金銭の話は全く別問題の筈です。

前回の掲示で申しあげたかった趣旨は、以上の様な事ですが、もう一つ、ここで常々申し上げて居るのは、『予兆』です。
一見すると何の因果も感じられず無関係の様に見えても何らかの予兆を暗示している場合があります。
小さな事でも予兆と成り得るのは、隠れた本質が垣間見られる為に起きた場合であり、人の為す業ならば、心の隙は何らか
の形を伴い自然と表れてしまうもので、自身では気が付き難い事なのです。

『正々堂々』は、日本人の好む所ですが、『勝てれば手段は何でも良い、所詮負ける奴が悪い』、これは世界の潮流であり、
皆で楽しみ合う筈の野球でさえ、この調子ですから、もっと大きな実利が絡めば、そこは推して知るべしと言った所では無いで
しょうか?

ハゲタカやアリババ相手に、正直を求めたり気を利かせてくれたりするのを期待するなんて、石川五右衛門に『金の鯱』の番人を
任せる様なものです。
親切げに見せて居るのを、お為ごかしとも解らず衣の下の鎧が見抜け無い様では、カモがオチと言うのも当然の成り行きです。
2006年3月11日(土)  感想
 『歴史的教訓』

 今週は、某航空会社の内紛騒動や日銀の量的緩和解除など、取り上げたい話題は、多く事欠かないのですが、この所、
経済の話題から遠ざかっていたので、米国経済についての私的感想を述べてみたいと思います。

今迄は、然程気にしませんでしたが、為替投資を始めてからと言うもの米国は、一層身近に感じる様に成り米国経済の研究を
日々重ねていますが、最近、この国の経済的構造に大きな疑問を持つ様に成っています。
私が考えている事は、日本人的発想で世界標準思考ではなく、善悪の評価は解りませんが、取敢えず記したいと思います。

2004年後半から、2005年初めまで、為替市場では、ドルの構造問題が材料視されていましたが、2005年全般は金利に注目が
集まっています。
為替市場の変動は、その時々に応じた材料が注目され、売買の動機付けとされているので、それはそれで良いと思うのですが、
冷静に考えてみると、未だに赤字は、莫大に膨れ上がり続けています。
早い話、米国経済が好調と見えるのは、借金達磨に成りながら、膨大な浪費を続け贅沢三昧を重ねている事に支えられての
景気拡大と言っても間違いでは、ないのではないかと思えて成りません。
この様な状態を何十年も続けているのですが、その借金達磨の膨張は、何時まで継続可能なのでしょうか?

昨年の秋、巨大ハリケ−ンが南部を襲い大きな被害を齎しました。
その時、ニュ−スの映像を見て驚いたのですが、貧困層と言われる人達、多くは黒人でしたが、皆、デブデブに太り家屋敷も
日本よりは広く、ペットの犬には、缶詰のドックフ−ドを与えていました。
それでも貧困層らしく、連邦政府に生活が出来ないので援助しろと主張していましたが、何とも言い難い光景です。
御家事情から察すると、何も考えず贅沢三昧を続けて行く為には、経済面の優位性のみを追求し二酸化炭素の排出など、
一々気を配っていられないと言うのも何と無く解った様な気はしました。

事情は、違っていますが幕末の日本では、薩摩藩が莫大な借金を見事踏み倒した事に、良く似ている様な気もします。
借金をするだけして、贅沢三昧の挙句、「無い袖は触れない、貸す方が悪い」等と居直られても皆が迷惑を被り難儀な話です。
アメリカの場合、世界最強の国家であり、ドルは基軸通貨のままである事から、債務不履行とは成らないものの何処で帳尻を
合わせて行くのか?ここが一番の問題点だろうと思います。
現実的には、通貨価値での調整に成るとは思うのですが、何時どの時点で、どの程度に成るのか誰にも予測できません。
諸国の中央銀行は、ドル保有の比率を落とすポ−トフォリオを組んでいる様に見受けられ、世界中の経済通から見ても
ドルを取り巻く環境は、厳しく成りつつあるものと判断している様に伺えます。
誰が貧乏くじを引かされるのかは解りませんが、ある程度、心して置く方が良さそうに思えます。
人類の歴史的な見地に立てば、『弱い者は毟られる』、この教訓通りに成らない様、賢く立ち回る必要がありそうです。
日本自体、人口の減少に伴う様々な経済・社会問題や国家財政の逼迫と言った諸懸案を抱え、米国と悪化のチキンレ−スを
行っているかに見え、将来困窮する事無く確り生き抜く為にも、経済知識の大切さや為替動向の重要性を再認識しています。
2006年3月8日(水)  思い出
 『ある駆け出し霊能者との出会いA』  (前回からの続き)

 その日は、様々な出来事が発生したものの日も暮れ始め、一日は終わりを告げようとしていました。
私の日課は、地平線に沈む夕日を眺めながら物思いに耽るのが、少ない楽しみの一つでした。
「地平線に沈み行く太陽を見ながら、地球の裏側の人達は、同じ太陽を眺めて朝を感じているのだろう」等と思うと地球の大きさや
自然の循環法則、「出ては沈み、沈んでは出て、森羅万象、全ては諸行無常である」この理を実感するもので、太陽の沈んだ後、
街の灯は、『人の営みとは、一夜の泡沫』と謳っているのかに思え、誠感慨深いものです。
何時もの様に、夕日を眺める場所に向ったのですが、この日ばかりは、何の意味も無く、掃除用のデッキブラシを持ちながら歩き
出しました。
今考えても何故、その様なものを持ちながら歩き出したのか自分でも良く解りません。
途中で、気が付きましたが、戻って置いて来るのは、面倒なので、気晴らしに振り回しながら歩きましたが、この様な物を振り
回すと肩こり予防にも効果があるので、ブンブン振り回していたのですが、柄の重さが突然と軽く成り、「あれ?」と思いながら
デッキブラシの先を見た所、ブラシが消えており、次の瞬間、「どすん」と音がしたので、振り返ると、40m位後方にあった筈の
小さなお地蔵様が、倒れたらしく姿が見えません。
「え゛っ〜!!」と思い、その方向に走り出しましたが、全身の血の気は一気に失せ、身も凍る思いでした。
走りながら、
「ス−パ−の福引では、2等のカップラ−メン1箱すら一度も当たった事ないし、麻雀の国士無双は滅多にできないし、宝くじの
一等が当たる確率よりも低い筈の事が何故起きるのだ!」等と取り留めない事が浮んでは消え、消えては浮び、頭の中を駆け
巡り、それまでの諸々は、何処かに消えています。
どうやら、ブラシの先は直撃した感じでしたが、幸いお地蔵様には、何処にも損傷無く済み、お地蔵様を元の位置に戻しながら、
「金輪際、物事は前後を冷静に見極め腹立ち紛れに行いません」との約束を致し胸を撫で下ろしました。
危うく、『お地蔵様をドツいて地獄送りにした男』などと、不名誉な黄金伝説を残す所でしたが、後日、一連の話を師匠にした所、
「お前は、地蔵菩薩から直々に御説法を戴けたのだから、大したご利益を授かったものだ」と大層、褒められました。
同じ出来事でも人により、見方や捉え方は、随分違って来るものだとつくづく感じます。
今思うと、この様な出来事も諸行無常を表しているに過ぎないのだから、多少壊れようと、それはそれで思召しの様な気もします。

『後悔、先に立たず』とは言いますが、物事は後戻りできるうちに、修正すべきは修正しておかないと手遅れに成る場合が多く、
切羽詰ってからでは、殆ど身動きの取れ無い状態に成って居るものです。
この日に起きた一連の出来事を、悪霊の祟りか?それとも偶然か?はたまた因縁か?その様な事、幾ら目を白黒させながら
祈ろうが瞑想しようが、先々に役立つ知恵も浮ぶ筈無いので、無意味であり、如何でも良い事であります。
大切なのは、自他問わず、教訓を人生に生かせるのか否かであり、人間の厚みとは、その様な事で育まれて行くものです。
2006年3月4日(土) 思い出  NO.51
 『ある駆け出し霊能者との出会い@』

 今回は、単なる思いつきの話を書いて見たいと思います。
所要で出かけた際、本屋に立ち寄った所、週刊誌に最近流行の霊能者が話題と成っていました。
昔、この男に良く似た人の事で、忘れ様にも忘れられない思い出があり、テレビで見かけたりすると何時も脳裏に浮んで来ます。
如何でも良い話ではありますが、少し目先の変った話をしたいと思います。

十数年前、まだ修行中であった、ある日の出来事、饅頭の御供えが、一定期間供えられたので、下がって来ました。
この饅頭は、確か名古屋辺りの名物だった様な気がします。
外見は、京都名物蕎麦ぼうろの様な色合いで、中の餡子は塩気が利いて硬めですが、嫌味の無い素朴な饅頭です。
私は、この饅頭が好物で牛乳と一緒に喰らうと何とも幸せな一時を過ごせます。
好物の饅頭が下りて来たものですから、早速、食しましたが、ど〜も何時もの風味と何処か違って、薄っすらと汗を焦がした様な
苦味の効いた何とも言い難い風味がします。
傷んでいる様には感じないのですが、如何表現したものか?危険が漂う様な?嫌な感じがします。
側に居た下働きの婆さんに、「何か、変じゃない?」と、その饅頭を渡した所、
臭いを嗅いで、「あ〜、ネズミの小便や〜」との事、それを聞いた私は驚愕し、食べたものを戻しに便所へ駆け込みました。
この時、気持ちが悪いのと、表現のしようが無い怒りと、両方が込み上げ、吐きに行った先の便所は汲み取り式である事から、
諸々は手間無く一気に噴出しました。
怒りは頂点に達したまま戻ると、婆さん達は、「紙を除ければ、如何って事おまへんで、大袈裟な〜」と言いながら、ネズミの
小便が掛かった饅頭をムシャムシャ喰らっているのを見た時、唯々呆気に取られ、何も言えませんでした。
しかし、如何にも腹の虫は治まらず、数時間は鬼の形相だった様で、誰も話し掛けて来ませんでした。

2〜3時間後、漸く腹の虫も治まり掛けて来た時の事です。
修験者の大先達と世間話をしていると、ニヤケタ不実そうな目をした若者が、話の輪に入って来ました。
この男は、霊についての研究をしているそうで、自身の霊力も高められる様に努力を重ね、又、その道に通じた良き師を求めて
居るとか何とかと、講釈を述べ始めました。
聞いても大して役に立たない話には、全く興味が無い私からすれば、退屈な話だとは思いましたが、横に居た大先達は、スッカリ
話に乗せられ、イイ気分に成っていました。
この男、何が言いたいのかと思ったら、物凄い高級な守護霊が憑いている私を見て驚き、霊界の話をしたくて話掛けて来たとの
事で、私の場合、霊と言うより神だとか何とか解った様な解らない様な事を独特の口調で得々と語ります。
物凄く腹の虫の居所が悪い私は、生意気な事を得意げにペラペラ喋るこの男に、世間の広さを思い知らせて遣ろうと、脳細胞が
スパ−クした感覚に成り、ついつい、
「君〜、俺に取り憑いている高級な物とは、イクラ何個分の値打ちが在るってんだ、俺が子供の頃、高級と言えば寿司だ。
出前で、並と上の違いは、イクラで決まる。特上は、イクラとトロが入っている。
俺が銀座の寿司屋なら、お前は小僧寿しの納豆巻き程度の事だろ〜、銀座の寿司屋には、納豆巻きは置いて無いぞ!
納豆巻きはマズイから嫌いだよ、少なくとも干瓢巻き程度に成ってから、尤もらしい事を言う様にしたらどうだい!」
と一喝した所、蒼く成り一礼して去って行きました。
そもそも、私の腹の虫の加減も察知出来ないようでは、グズグズ能書を言った所で知れたものです。
横に居た大先達は、「なかなか大した霊能を持ってるさかい、良い方向に仕込めば〜・・・」などと言い出すものですから、一層
スパ−クして、「あんた、何年修行してるんだ!、一目観て人間を判断出来なけりゃ〜、役に立たないだろ!」と返す刀で、こちらも
一喝しました。
因みに、大先達御年71歳、私26歳の時の出来事です。

本当なら、話はここで終る筈なのですが、もう一つのドラマが発生するとは思いもよりませんでした。
次回に続く
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