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| 2008年4月23日(水) 誰に何を伝えるのか? No.140 |
10ヶ月以上にも及ぶ長編を綴った後で、何時もの調子に戻そうと思ったのですが、「はて?どんな感じだったのかな?」と・・・
この所、経済関係の内容から離れてしまったので、元に戻そうと思ったり、このまま哲学的な事を続けようかとも・・・
諸々の企画を考え合わせながら画面に向かい、何を綴るか考えているだけで眠く成ってしまいゴ−ルデン・ウィ−クが過ぎたら
テ-マを考えて始めようと思います。
作家や漫画家は、様々な事を空想しながら、作品を完成させていくのでしょうが、とても真似の出来ない作業を連続してこなして
行くのだろう?と、想像するだけで大したものだと感心します。
思い出に浸り、それを描表す事など、単に記憶を辿れば良いだけで済み造作も無く簡単ですが、創作は、その人の持つ才能が
為せる技なのかも知れません。
私が何時も感じる事の一つは、『人に真意を伝えるのは難しい。』と言うもどかしさが有ります。
世の中には、簡単な事を複雑に難しく説明しようとする人もいますが、これでは聞いていても詰らないし知的センスを感じさせず
単なる厭味にしか聞えないものです。
難しい事を簡単明瞭に誰でも理解可能とするのは、本当に難しい作業です。
『要点を押さえて、その過程を説明する。』
言ってしまえば、これだけの事なのですが、自分では実行している積りでも、それでも、意図しない方向に進んでしまう事が
起きてしまい、『一体、何故なんだろうか?!』、この様に思う事も、しばしば・・・
それも寧ろ当然の成り行きで、受け手側の『思惑』があるからに他なりません。
人は誰でも自分の都合で判断し行動するのが基本であり、ここを咎めても仕方がないのです。
そして、突き詰めると、「最終判断は自己責任ですから、どうぞ御随意にしてください。」、ここに行き着いてしまいます。
それでは、余りに人情味に欠けるので、相手が喜び自分にも面倒の掛からない様に上手い手立てを考えてみれば、
『相手を批判せず理解する様に務めながら話を聞き、自分の意見は述べない!』
この毒にも薬にもならない茶番が、お互いの為には一番賢く適当な選択ではないでしょうか?
もし、この方策を私自身の人生に当て嵌めて考えたとするならば、互いを利する意義を見出せない人達からは、大歓迎を
受けたでしょうが、必要な知識や生き残る為の術を分けてくれた大物達からは、相手にされなかったと思います。
ただし、大衆を出し抜いて生きる必要がある方々には、この手腕が大切なので偏りは限界を生じる元凶と成る場合も多く、
気をつけないと自分の方が置いて行かれてしまうのも、これまた事実です。
日曜日の晩に、NHKの『篤姫』を見ていると、自分自身にも思い当たるシ−ンがあり、懐かしい様な気持に成りました。
時々、人の移り行く世を考える際に、『振り子を止めたまま、振り子を動かす事は可能なのだろうか?』と・・・
頓知の効いた答えならば、自分の視点を連続して動かし続けるか、振り子を動かさない様に周囲の環境だけを動かせば、
その様に見えると言えるかも知れませんが、現実社会に当て嵌めると、それほど簡単ではありません。
昔、師匠に訊ねてみた所、
「振り子を動かしたいのに、自分や周りを動かしても単なる誤魔化しや!
そんな阿呆な事をするくらいなら、何もしないで昼寝でもしてなはいっ!」と、叱られた覚えがあります。
これだけを聞いても前後の文脈が分らないと深い理解は出来ない筈ですが、それでも説明するには手間が掛かります。
しかし、師匠と私との会話は、これだけで自らの心の有様や教えを説く心構えの問いと答えが成立してしまうので、傍から
見ていても聞いていても、さぞ、変な会話にしか思えない事でしょう。
何故、余計な事を言わなくても、これで済んでしまうのかと言えば、互いに心を推し量っての事だからです。
相互理解は、表面上の体裁を整えただけでは上手く行かないものです。 |
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| 2008年4月16日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 50 |
前回の続き
以後の軌跡を簡単に掻い摘んで掲載したいと思います。
蒲池さんからニュ−アルバムをリリ-スする連絡を受けた約1ヶ月後、予定通り日付入りの辞表を提出し本格的に旅立ちの
準備に入りました。
この時、「前に出してあった日付無しの辞表も返すから、出て行くのを待ってくれ!」との事で、5時間余りにも及ぶ説得が
2日間も続き、翌月の月末に去る予定でしたが、それでは角が立つので少し延期する事にしました。
この間に各方面との別れをゆっくりと済ませたのですが、「力を貸して欲しい!」と、願う人達が結構いて、その人達を
置き去りにして見捨てる様な格好と成ってしまい、『これで良かったのだろうか?』と、戸惑ったのも本音です。
実際には、この様な人達が私の知る以上にいたのかも知れません。
諸々の状況から、『一度、放たれた矢は元に戻せない』、『同じチャンスは、二度巡らない』、『何かを得れば何かを失う』、
この様な状態に陥ってしまい、これも立ち回り方の悪い私の不徳の致す所です。
ただ、これを期に無用な世界を去り、私自身の世界を現実に創造する為の変化を始め出したので、他の事に時間を割く
余裕も無く、出て行くまでの間、『誰が、どうして、何とやら?』などは、記憶にありません。
笹川さんと最後に会った時、「広い世界を見渡して、大きな志を翳して歩んで欲しい!」と激励されて以来、七年の歳月が
流れ、その間、各所を渡り歩きながら自分なりに精進を重ねて納得の行くものだったので、悔いはありませんでした。
この場所を去って、2〜3ヵ月後の事だったでしょうか?夏の半ばから秋口ぐらいか?蝉が煩かったのは憶えていますが、
蒲池さんと最後に電話で話をしてから、半年は過ぎていたと思います。
実家に戻り、活動の準備に追われる私に、『リス』を名乗る女性から電話がありましたが、その日は外出していたので、
家族が応対し、彼女は、「もう一度だけ、力を貸して下さい。」との用件でした。
それまでの2〜3ヵ月間に、5人の知らない女性から、「助けて下さい!」、「何とか力を貸して欲しい!」との縋る電話も
あったのですが、寺との経緯から大変気の毒な事だと思いながらも、「他の坊さんに相談して下さい。」と、全員お断りして
いました。
そもそも、心意気の一環で活動していたのに過ぎず、他の人に頼むのも無茶な話なのですが・・・
6人目の『リス』を名乗る女性にも、家族がお断りをしたのですが、「話せば解かってもらえるから、どうしても!」と粘り、
「翌日に改めて連絡したいので、必ず電話に出てくれる様にお願いします。」と、言い残したとの事です。
私の知り合いに、『リス』を名乗る人は、一人しかいないので、蒲池さんだと直ぐに分り、翌日にも予定はありましたが、
予定を変更して、朝から晩の遅くまで、彼女からの電話を待ちました。
しかし、何の連絡も無く、その日以来、彼女からの報告も連絡も途絶えたままです。
恐らく、彼女は自分で解決する為に立ち上がろうと意地を見せたのかも知れません。
翌々日、こちらから連絡をしようと思いましたが、彼女の連絡先を記したメモが見つからず、引越しの荷物も整理出来ていない
状態だったので、対応が出来ずに、そのままと成りました。
このメモは捨てていないので、今も何処か、本の間に挟んであるか?何かの箱の中に仕舞ってあるか?と思います。
この時、蒲池さんが困り果てるとしても、未だ先の事だと思い、『何で今頃なのか?早過ぎる!』と、疑問でした。
「さっちゃんとコンピュ−タは、同じ様な2000年問題を抱えているから、ハ−ト&ハ−ド面の補強をしておけ!」と、教えて
おいたので、それまでには対策の時間も十分あり、問題は最小限に防げたと思います。
警告通り、ファンの声に耳を傾けて、スタッフ達と綿密に相談しながら進みさえすれば、大方は無難に過ぎた筈です。
ただし、疫病神の様な奴から、毒入りのリンゴを食べさせられたら、状況は一変するので、『もしや!』とは、思いましたが、
『金の卵を産む大切な鳥なのだから、彼女の事は周囲が何とかするだろう!』と思い、気に留めず甘く見過ぎていたかも
知れません。
この事は、初めから、プライベ−トや営業には立ち入らない方針でしたので警告しませんでしたが、それも彼女の選択した
結果が顕れたに過ぎず、先の芽を潰す様な愚行を冒せば充分な手立ては出来なかったかと思います。
例えるなら、『バナナ』の一部が圧されて、黒ずんだ傷みが出来てしまうと全体に傷みが広がり、日持ちしないのと同じ事で、
バナナも人間も良く似たものです。
こうして、有耶無耶の内に時は流れ、2001年の誕生日までは、彼女からの報告を待っていましたが、その頃には彼女の
記憶も薄れつつあり、気に留める事も殆どありませんでした。
私は、一々余計な事を憶えて置くほど酔狂ではないので、普通は直ぐに『リセット』してしまいます。
そうした中、予てより機を窺っていた様に、この年の9月11日早朝に世界の流れが大きく動く出来事があり、私も全てを
割り切り不要なものは極力捨て、『経済』を修め様と新たな志で歩む事にしました。
この時、運試しには勝ったものの、それは同時に彼女に対する警告も当り、困った状態にある事を指していましたが、
これは、初めて会った時からの約束ですから、迷わずに自分の道を選択し歩み始めました。
ただ、蒲池さんが、『何時か、素適な夢のプレゼントを持って現れるかも知れない!』と言う、淡い期待を捨てたくなくて、
彼女を忘れない為に、心の記念碑として百合の種を大量に庭の周辺へ撒き散らしました。
それ以降、夏に成り最初に咲いた百合の花を見る度に、蒲池さんが私の事を『不思議の国のウサギ』と、言っていたのを
思い出すのです。
この2ヵ月後の11月に発売された、『LEAF & SNOW』を聴きましたが、落胆の余り、彼女を思い出すのが嫌に成りました。
この時、『ウサちゃんとの経緯は、何処かに吹き飛んで消え失せたのだろう!』と・・・
敢えて私が物申さずとも、ファンの物言わぬ声は、『売り上げ』と言う形で、ハッキリと評価を示すので、その結果は真摯に
受け止めて欲しいと願うばかりでしたが、どうやら、その願いは虚しく届かなかった様です。
私は、蝶々さんやクラブのママ、オカマ達が心配してくれた事を踏みにじってしまった様な嫌な後悔を覚え、自らの過ちを
悟り大いに反省をしました。
以後、情に絆され選択の誤りを行う事は殆どなくなったと思います。
しかし、商業の師匠の寿命の事があり、経緯は兎も角、大局的な判断としては誤りとは言えなかったのも事実です。
一連の出来事が切っ掛けと成り、掛替えのないチャンスを得たのも確かなので、『何が災いし何が幸いするのか?』
天の采配も日頃の積み重ねから起きて来るものです。
その後は、年に一度だけ数秒間、蒲池さんを思い出したものの、それ以外は忘れていました。
このアルバムに納められた曲の多くが、『直感で選んだ好きな曲』にされていたのだと、最近知り、何とも言い難い・・・
感謝を忘れた者は、ツキからのお仕置きを受けても、長く『人の気』を保ちチャンスに恵まれる事など、到底無理な話です。
忘れた頃にピントのズレた穴埋めをしても、時の流れを決定付けてしまうと間に合わない事は多いのかも知れません。
時は瞬く間に5年以上が過ぎ去り、昨年2007年5月11(金)〜14日(月)の事です。
修行当時からの知人に所用があり、数年ぶりに関西へ赴き友人知人、兄弟子達と会いましたが、蒲池さんとの思い出の
場所にも行きました。
さっちゃんと会談したベンチに腰を掛け爽やかな春風を受けながら風景を眺めていると、彼女の事がとても懐かしく思え、
ZARDのアルバムを探そうと、何時もCDを買っていた思い出の店に行きました。
当時はZARDの項目に沢山のCDが並べられていたのですが、今では影も薄く項目すら無くなり、『その他ア−チスト』の
項目に、一枚だけ『君とのDistance』が置いてある状況で、時の流れを感じさせ寂しさを覚えました。
田舎の大きな店ではないので、売れ筋以外は項目を設けてくれないのは仕方の無い事かも知れませんが、事情は東京も
同じで、蒲池さんに説いて聴かせた、『人の心の移ろいと諸行無常』を全て表しているかの如くです。
CDを手に取り曲目を見て、『チャンスに賭けたか?』と思い、『不思議の国のウサギ』に会いたいのは直ぐ解りました。
彼女から、「ウサちゃんの大冒険は、何時頃始まって、何時頃終るの?」と訊かれたので、私は「始まりは、ここから出たら
直ぐにだけど、終わりは世界の流れが大きく動く事が起きてから、5〜6年後が一つの目処かな〜」と答えておいたので、
彼女も意識しての事だろうと思ったのです。
その間に報告も連絡もしてこなかったのは、遠慮していたのか?私に合わせる顔が無くて、連絡出来なかったのか?
今と成っては知り様もありませんが、私から手を差し伸べないと何も進展しないのは間違いありませんでした。
それは、『筋を通さない者は、相手にしない!』、私の確たる姿勢を一番理解してくれていた人が、彼女だからです。
東京に戻り、所用を整理した後、彼女に手紙を書くべき文面を練っていた所、訃報を聞き、彼女の軌跡も断片的に知る所と
成りました。
以上が概ねの事情です。
何故、この様な掲載を行ったのかと言えば、一人の女性を通し、『前向きにチャレンジする生き方』、『チャンスを活かす事』、
『自分を変えるのは難しくない』、『現実的なものの見方も大切だが、夢を持って生きる事も大切』、『自分の為すべき使命』、
『心が通じ合う人の大切さ』、『信念を持って生きる事の大切さ』、これらを説いておきたかっただけの事です。
それと、彼女の努力した姿も・・・
蒲池さんが私の話を喜んで聴いていたのは、この様な話を訊ける機会に恵まれていなかったのだろうと思います。
彼女の目に映ったのは、私の大好きな名言、「元気があれば何でも出来る! いくぞぉっ〜 1・2・3、ダァ−!!」
これに近い感じでは、なかったのではないでしょうか?
最後に、様々な意見や感想を送って下さいました読者の方々には、心より御礼申し上げます。
戴いたメ−ルの大方は返信しましたが、中でも、『身から出た錆と自業自得』、『自分を変えて行く為に必要なポイント』、
『正しい直感の使い方と効果的な利用方法』、『疫病神の見つけ方と追出し方』、『効果的なチャンスの掴み方と活かし方』、
その他諸々は、何時か別の機会に特集を組みたいと思います。
暫らくの間は、ホ−ムペ−ジ掲載容量の上限が近い為、サイト内の掲載を大幅に整理統合する必要があり、ご容赦ください。
ホ−ムペ−ジの構成上、長編を掲載する事は想定しておらず、又、省略や中略も多く読み難いかも知れません。
必要を感じて下さる方は、『もう一度、初めから通して読んで頂けると人生に活かせる事もあるのではなかろうか?』と、
自負しています。
私も、『折角、不思議の国のウサギに戻ったのだから、何かワクワクする様な面白い夢でも見たいものだな〜』と、
今は、この様な心境でいます。
『ZARD 坂井泉水との出会い』 完
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| 2008年4月9日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 49 |
前回の続き
蒲池さんと最後の会談をしてから、1ヶ月も過ぎた頃だったでしょうか?
彼女から電話があり、ニュ−アルバムをリリ-スするから、それをプレゼントしたいとの事でした。
私は嬉しかったものの、プレゼントをしてもらうより私が購入すればCDの売り上げに貢献できると思い、その旨を伝えると、
彼女は、とても喜んでいました。
その時、ニュ−アルバムに付いている歌詞カ−ドの写真で、「ネイビ−ブル−のTシャツが、リンゴの御礼だよ〜」と言って
いましたが、鈍い私には、言われた直後には何の事か分りませんでした。
話しながら考えて、『リンゴ』、『ネイビ−ブル−のTシャツ』→『子供の頃に大好きだったキャンディ−ズの様に自分も引退』→
『年下の男の子』と、気付き、彼女の心遣いに嬉しく思いました。
電話の最後に蒲池さんは、「何時か、ウサちゃんにも素適な夢をプレゼントをするからね!」と、言っていましたが、
その様な途方も無い事より、彼女が自棄を起さず自分の描く夢に向かい歌い続けてくれていた方が、遥かに嬉しいので、
「さっちゃんの気持ちだけ、有難く受け取っておくよ。
それより、無茶な事は考えるなよ!
余計な心配を掛けないでいてくれれば、それで充分だから・・・」
と、言っておきましたが、彼女は、「分ってるから、大丈夫だよ!」と笑っていました。
これが、蒲池さんと直接的に会話を交わした最後です。
丁度、CDの発売日には帰郷の準備をする為、東京に戻っていましたが、発売当日にCDショップへ行き『永遠』を購入して、
その場で歌詞カ-ドを確認した所、確りと彼女の決意に触れられた様な気がしました。
『少女の頃に戻ったみたいに』の歌詞が書かれている写真には、青い空と海に、紺碧のTシャツとズボンを穿いて、白い砂浜を
歩く蒲池さんがいて、初めて会った時に話した事を表現したものに、描くイメ−ジがピッタリだと思いました。
これは、昨年8月11日に掲載した時に、色彩について話した時の部分です。
詳しくは、そちらを参照してください。 (この時の掲載に対し苦々しく思う方々が多かったらしいです。)
会話の中で、私が彼女に言った、
「俺の心の色が紺碧と例えたのは、悲しみにくれた色ではなくて、深く澄んだ空と海の心境だと言いたいのさ。
表面的には、嵐があろうと波風が立とうと雲が切れて晴れれば、その向こうには、常に澄んだ紺碧の世界が広がっている。
それは、どの様な状況でも変わる事のない陽の光が常に差しているからだよ。
何物にも染まらず、あるがままを捉え成し遂げる覚悟の境地を言いたかっただけで、蒲池さんの様に悲観したものの見方は
していない。
心に灯す陽を絶やす事無く歩めば、何れ紺碧の心境に辿り着く。」
この返答に対し、彼女が、「私も心の色を変えて、前に進みたい・・・きっと出来そうな気がする〜」と、この時の思いを込めて、
それだけを言いに、ワザワザ関西まで、決意を述べに来たのだと察しました。
写真を見た時、『本当に良かったな〜』と、私の心に爽やかな風が吹いたのを今でも忘れられずにいます。
蒲池さんが電話で言っていた『素適な夢』とは、どの様な事を指すのか解りませんが、私にとって彼女の心が込められた、
この写真は、『素適な夢のあるプレゼント』でした。
それは、今も何ら変りありません。
この様に思いながらも、本当は彼女自身が明るく爽やかな歌声に乗せて、明るく素直な気持で自分と向き合い様々な事に
チャレンジする心を詩に表現していてくれたら、多くの人達に素晴らしい感動や勇気を届けられたのではなかろうか?
どれほど尊く素適な事なのか・・・
彼女は、それが出来る人だったのに!・・・
この思いが胸の奥に残されたままなのも、これまた本心です。
次回に続く
(追記)
これで、蒲池さんとの直接的な交流は終わりとなりましたが、ここまでは全てが良い方向に進み順調だったと思います。
問題は、この後です。
昨年の12月15日に掲載した様に、私の心の中には、『降り積もった雪の様な蟠りの気持ち』があり、何度も、この掲載を
途中で止め様かと迷いました。
今更、私が何を語ろうが語るまいが、時の流れと共に、あるべき方向へ進むだけの話です。
周囲の親しい人達ですら知らない話なのですから、黙っていれば、それで全てが丸く治まると言うもので、私にとって、
通り過ぎた無用な世界の出来事に肩入れした所で、時間と資源の無駄遣いで終わり、何の意義も感じません。
しかし、蒲池さんが懸命に追い求めた『生きた証』を誰にも知られず誤解されたままで終らせて良いものだろうか?
少なくても、ショックを受けたファンには、彼女の素顔の一面を知ってもらえれば、彼女の供養にもなるだろう。
その様に、自分に言い聞かせながら掲載を始めたのです。
ここまで綴り続けたのは、第47話と今回の49話を通し彼女の心意気を知らしめたかっただけなのですが、ある程度の経緯も
合わせて説明しないと、何の事か意味が理解出来ないと思い余計な説明を重ねていたら、この様な長話と成りました。
限られた時間とホ−ムペ−ジのアップデ−ト容量上限を考えながら、遣り繰りしなければならない実に面倒な作業でしたが、
これで、私にも一つのケジメが付き、気兼ねなく『リセット・ボタン』を押せます。
ただ、この様な事をしていると自分の文章は如何に下手なのかを思い知らせてくれて、もう少し国語の勉強をしなければ
恥を掻くと反省出来た事が、何よりの収穫でした。
次回は、その後の成り行きを簡単に掻い摘んで掲載したいと思います。 |
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| 2008年4月2日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 48 |
前回の続き
この時、喜びはしゃぐ蒲池さんの姿を見ていると、私の事情を打ち明けられる雰囲気にはなく、『どうしたものか?』と、
思いあぐねていた所、彼女が、
「うさちゃん、お願いがあるの?
さっちゃんの素適な夢が叶う様に、魔法をかけて!」
と、言い出すので、次から次へと私を困らせる事を言い出す彼女に、『この人には、本当に参ったな〜』と、思いましたが
無邪気な姿を見ていると、『詩人だから、メルヘンの世界は仕方が無いか?』と、複雑な気持ちでした。
そうは言うものの、好い加減な事を言う訳にもいかず、かと言って、野暮な事は言いたくないし、私は、
「ごめんね〜最近、忙しくてマジックポイントが、ゼロだから魔法は使えないんだよ〜
それに、『メラ』とか『ホイミ』、何て勇者の使う魔法は使えないし、西洋の魔術も良く知らない。
今度、ナポレオンズの手品の本を読んで練習しておくから、当てにしないで待っててくれるかな?
急ぐ様なら、『ガンダ−ラ』に行くしかないけど、それは、ウサちゃんじゃなくて、ゴダイゴに聞かないと分らないから・・・
さっちゃんの方から手配した方が早いと思うよ〜」
と、笑って何とかその場を納めたかったのですが、蒲池さんは納得せず、
「どうして、何時も、そうなの?
さっちゃんが頑張ってたら、夢が叶う素適な魔法をプレゼントするって言ったじゃない!
こう言う時は、『きっと、君の素適な夢が叶うから、何も心配しないで僕に任せるんだ!』って、ロマンチックに力強く
言わなきゃダメでしょ!
全然分かってないよ〜
トゲトゲ、ゴワゴワしてばかりのウサギ何て、可愛くない。」
と、言い出すので、私は、『トゲトゲ、ゴワゴワしたウサギとは、面白い事を言うな!』と、可笑しくなりましたが、笑い出す
訳にもいかず、それに、何時もの様に、「さっちゃんが頑張ってたら、夢が叶う素適な魔法をプレゼントする!」とは言った
覚えがないので、返事に困りましたが、
「いや〜全く気の利かない事で、誠に申し訳ない。
立場上、出来もしない事を言触らす訳にもいかないからね〜
何分、むさ苦しい中で退屈な毎日しか過ごしてないものだから、エレガントな宝塚風の路線は、分からないよ〜
涼風真世ちゃんの様な人なら、この手のセリフは良く似合うけど、ウサちゃんが言うと単なるギャグに成るから・・・
路線の違う人に無茶を言って困らせるものじゃないぜ。
それに、夢が叶う魔法なんて当てに成らないものに頼るより、今の気持ちを忘れずに毎日を感謝して生きる方が、
遥かに夢が叶う近道だよ。
まぁ〜ウサちゃんにも出来る事と出来ない事があるけど、必要なら護摩で祈願しておくから、試しに何が望みか?
言って御覧。」
と、訊いたのですが、蒲池さんは、「ヒミツだから、教えないよ〜〜だ。」と言ったきり、何も話さなくなりました。
私は、『今日が最後の別れに成るだろう。』と思っていたので、最後ぐらいは、彼女の要望に副ってあげようと、
「それなら、さっちゃんが胸を張って報告が出来る様になったら、改めて、その話をしよう?
何かにチャレンジする時は、自分を騙して思い込みをするより、自分の状態をハッキリ認める方が上手く行くよ。
折角、素晴らしい決意を固めても、実際に歩き出して周囲と調整しながら進めないと良い効果が見込めないからね。
ウサちゃんの引退する前なら、何か手伝いは出来るけど、引退してから後は、ウサちゃんも自分の目標に向かって
大冒険に出発するから、無茶な事は言わないでよ。
ここにいる間は何時でも会えるけど、ここから出て行ったら悪夢の世界から目覚めたウサギは、普通の人だからね。
それでも一応の目処が付けば、価値ある事をたくさん掴んでいるだろうから、その時は面白い話が出来ると思うよ。
お互い細かい事に神経を尖らせて考え込むより、肝心な部分を活かせる様に行動した方が賢いと思わないか?」
と、新たな提案をした所、蒲池さんも、「そうしよう!」と、同意した上で、「約束の指切りをして!」との事で彼女と
約束しました。
思わぬ具合で、良い方に話が進み私も安堵しました。
こうして三度目の短い会談は終わり、この日は蒲池さんを駅まで送る事が出来なかったので、彼女と直接会ったのは、
ここまでと成りました。
彼女からの報告は、会って話しても、歌詞にして発表しても、どの様な表現でも構わないとしておきましたが、この日から
2001年私の誕生日に最終的な引退をするまで、彼女からの報告を待ち続ける事に成ります。
次回に続く
(追記)
第47話と今回の経緯を読む方々、特に坂井泉水さんのファンにとって、この時の話とその後に彼女の歩む方向性が、
大きく違っている事に戸惑うかもしれません。
ただ、この時の彼女は真剣でしたし、その後に発表する歌詞の何曲かには自分の決意や思いが綴られているので、
私の側から見ていると、彼女は何時の間にか全てが正反対の方向に進んでしまった様な印象を受けますが、自分なりの
努力を重ねていたと思います。
過ぎてしまった事を今更言っても仕方ありませんが、この時の気持ちを詩に込め多くの人達に伝える事を中心に活動を
すれば、きっと、彼女が求める夢も叶ったのではなかろうか?この様に思えて成りません。
それだけ、彼女の肩には大きなものが圧し掛かる苦労があったのだろう。
この様に考えてあげないと、彼女が報われない気がして切なくなります。
私は常々申し上げていますが、「誤りの無き者はいない」、「迷わぬ者はいない」、「恐れを知らぬ者は愚かである」、
それ故、「人を嘲る者は、自らの背を知らぬ愚か者である」と、言うのが持論です。
ただし、『裸の王様』には風邪を引かない様、服を着る事を勧めるのは親切だと思います。
何事についても言えるのでしょうが、他人の行いは外野で眺めていると簡単そうに見えるものですが、実際に自分が
その立場に置かれた瞬間、全てが変ります。
遠くから眺めて好き勝手な事を言うのと、自分が努力して物事を動かさなければ成らなくなった時の力学は別世界です。
私には、「揺るがない強さを下さい」と歌う彼女の気持ちが痛いほど良く解かります。
私自身、『過ち、迷い、恐れ』の連続で、心の有様に彼女との違いなんて何処にもありません。
それは、何処の誰であろうと多かれ少なかれ同じ事です。
ただ、幾つかのコツを飲込み、物事の有様を承知さえすれば、誰にでも克服可能な話である事に相違ありません。
それには、『地道に積み上げる直向きさ、チャレンジを惜しまない気概、自身を信じる心』が必要に成ります。
彼女の場合、『自分の気持ちさえ確りしていれば、それで全てが解決し済まされるほど、軽く簡単な立場ではなかった』と、
その様に思います。 |
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| 2008年3月26日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 47 |
前回の続き
帰郷の話し合い以降、私は自身の先々に必要な準備に追われだし、他人事に関わる暇はありませんでした。
尤も事実上、無用な世界を旅立ち引退していたのですから、心意気の世界も一部消失していたかもしれません。
この時は未だ、自分なりの『無用な世界』と『有用な世界』の判断基準に明確な線引きをしておらず、取り敢えず目先の
毎日に追われていました。
その様な慌しい最中の寒いある日、何時頃だったでしょうか?
兎に角、忙しくて、碌な応対も出来なかった時期だったのは憶えています。
細かい事は殆ど記憶に無い曖昧な状況ですが、二人の会話は、約束事を含んでいたので記録に留めておきました。
歩いて山門の前を通りかかったら、偶然、蒲池さんと鉢合わせをしました。
その日も忙しく、ゆっくりと話をしている時間は取れる状況になかったので、私は挨拶もせずに、
「良く来たね!・・・ゆっく話そうか?
と、言いたい所だけど、今日は忙しいから、20〜30分しか時間は取れないよ!」
と、言いました所、蒲池さんは笑いながら、
「相変わらず、せっかちなんだ。
今日は決意を聞いてくれるだけで済むから、時間は取らせないよ・・・
ねぇ〜ウサちゃん、どっか雰囲気変ってない?」
との事で、私の変化が何と無く伝わっているようなので、内心嬉しく成り、
「いや〜、最近、ある詩人に、『人は夢を見る事やお互いに信じて向き合う事が大切なんだ!』って、教えられてね。
序でに、『親切丁寧優しく応対しろ!』って要求もあったから、イメ-ジチェンジって所かな?
その人に、『方法さえ理解すれば自分を変えて行く事は難しくない!』と、言い張った手前、それを実行しているのさ。
自分の為にも彼女の為にも、只今、変身中なんだよ!」
と笑いながら、歩き出しました。
蒲池さんも喜んだ様子で、
「ヤッパ、ウサちゃん変身するんだ〜
ウナギマンから、まともな人に変身するって、凄く良い事だよ!」
と、お互いに何時もの様な調子で世間話を始めました。
私は、「サナギマンから、イナズマンに変身しそうだ。」と言ったのですが、何故か『ウナギマン』にされていました。
前回、会談した見晴らしの良い場所まで来ると、蒲池さんが徐に本題を語りだし、
「ウサちゃん、今まで色々な事を教えてくれて、有難うございました。
これからは、さっちゃんも素適な自分として生きて行ける様に、自分の可能性を信じて自分らしく生きて行きます。
チャンスを掴んで、ここまで来れたんだから、自分の歩むべき道を確り見詰めて、色んな事にチャレンジしながら、
自分の枠を広げられる様にもっと大きな視点で活動します。
辛い事も悲しい事も沢山あったけど、全部、自分の大切なものとして、目を逸らしません。
昨日の自分より、今日の自分が成長出来る様に・・・
今日の自分より、明日の自分の方が、もっと素適である様に・・・
何時までも自分として輝ける生き方が出来る様に・・・
自分にしかない何かを探して歩き続けます。
自分を必要としてくれるファンがいる限り、自分を支えてくれる人達がいる限り、前に進みます。
何時か、胸を張って、ウサちゃんに報告出来る自分に成ります。」
この様に話す彼女の姿を見ているうちに、私は感動しました。
それは、話す言葉そのものを自分のものとしていたからです。
『きっと、心にあった重荷を吹っ切ったに違いない!』と、思いました。
それまで、どの位の人間と関わり、どの位の話をしてきたのか?自分では分かりません。
しかし、一度として『報われた!』と納得出来た例はありませんでした。
見守る事しか出来ませんでしたが、蒲池さんと出会い、初めて納得の行く成果があった様な何とも言えない清々しい
思いが胸を駆け抜け、何か大きな事を達成した様な充実感が込み上げて、とても幸せな気持ちに包まれました。
私は蒲池さんに、「ウサちゃん、感激した・・・」と、一言だけ言って、彼女に拍手をした所、蒲池さんも嬉そうに拍手を
していました。
私の胸は感動で詰りましたが、更に言うべき事を語らねばなるまいと、
「さっちゃん、先ずは、『心の一山』を越えた様だね。
これから先、何か苦しい出来事が起きても、今の気持ちを忘れなければ越えて行けるよ。
普通は、この一山さえ越えられずに、諦める人が殆どなんだ。
次は、出来る所から少しずつ積み重ねて、『行いの一山』を越える番だよ。
これは、口で言うほど簡単じゃないから、地道に進めるしかない・・・
昨日出来なくても、今日出来れば良いし、今日出来なければ明日でも何時でも構わない。
失敗したら遣り直せば良いし、疲れたら休めば良いだけの事だから焦る必要はないよ。
諦めずに続けて行こうとするチャレンジ精神が消えなければ、それで充分だ。
一気に解決しようとすれば、生活のリズムが狂って、空回りするから徐々に試して行けば良い。
それと、全て自分だけで抱え込むのも大変だから、必要な事だけに集中して、余計な事は適当に済ませて、残りは
他人に手伝ってもらえば良いさ。
自分を縛り付ける事は、無用な限界を感じるだけだから、張り詰め過ぎると余裕がなくなって自分を表現出来なくなる。
逆に、周囲に妥協し過ぎると惰性に流されて気力も萎えて来るから、心は、『張りと緩みの調和』が大切だよ。
何事も伸びやかに行う工夫をして、重圧は受け流す様に心掛ける事。
丁度、『風に揺ら揺ら戦ぐ柳の如し』って感じかな?
便秘の時と同じで、力み過ぎても出ないものは出ないからね。
勢い余って、ナマコの様にウンコと一緒に内臓が飛び出してきたら大変だもの・・・」
と、分かり易く真面目に話した積りなのですが、例えが宜しくなかった様で、蒲池さんは大笑いしながら、
「ヤッパリ、ウサちゃんはウサちゃんなんだ!〜
ウサちゃん、何時も心配してくれて、ありがとう。
これから、色んな事で忙しくなるから、会いに来れる時間が取れなくなるけど、ずっ〜と、ずっ〜〜と、ずっ〜〜〜と、
応援してね!
もし、ウサちゃんの引退までに約束が間に合わなくても許してくれる?」
との事なので、私も、
「今までの経緯なんか、小さな事だから気にしなくて良いよ!
さっちゃんが、今の気持ちを忘れない限り、お互いの歩む道は違っても同志なんだから、それで良いだろう?
別々の世界に生きていても志を持って、精進して行こうじゃないか?
何時か、さっちゃん先生に教えを乞いに行く日が来るかも知れないよ。」
と、言いましたら、「ウサちゃん、ありがとう。」と、彼女は大喜びしていました。
蒲池さんも新しい事にチャレンジして仕事が忙しく成り、会談を行う時間も取れないのならば、前回掲載した様な諸事情を
抱えた私に取っても、無用な世界の仕上げに丁度良い潮時だと思い、新たな決意を胸にして大きく羽ばたこうとする彼女に
『自分の信じる通り、思う通り、臆する事無くぶつかって行って欲しい!』との思いが溢れ、誠に感慨深いものがありました。
彼女の勇姿を見ていると単純な私は感化されてしまい、『不屈の精神』が湧いて来る様でした。
同時に、『これで、さっちゃんと会えるのも最後なんだな〜』と、しみじみ感じいっていましたが・・・
次回に続く |
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| 2008年3月19日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 46 No.135 |
(今回は2月13日からの続きに成ります。)
東京から、寺に戻った時の私は、意気揚々としたのもでした。
戻って直ぐにクラブのママやオカマ達と楽しく話が出来たので、余計に心は晴々としたものでしたが、戻って1週間程度後の
事だったでしょうか?
呼び出しを受けた私は、
「オマエの代わりは見つかったから、正月が明けたら出て行ってくれ!」と、一言だけでしたが予定通りの展開に成りました。
既に日付を入れていない辞表を出しているので、『承知、不承知』などと、私の同意は事実上関係ありません。
私は内心、『遂に、開放される時が来た!』、この様に思っていましたが、一応、殊勝な振りをしないといけない場面なので、
「全て、承知しています。
それに付きましては、・・・」
この様に切り出し交渉した結果、出て行くまでの予定や作業の段取りを取り決め半年間は、様々な根回しを中心に行い、
自由気まま好きな様に過ごして良いと言う、格別の計らいを戴き決着させました。
実際には、自由気ままと迄は行きませんでしたが、だいぶ好きな様に過ごせる事は出来ました。
この時、「信徒を引き連れて出て行く様な真似だけはしないでくれ。」との条件が一つだけ付き快諾したのですが、これは、
蒲池さんを初め、寺の信用を基に知り合った人達は、寺の信徒として置いて行かなければならないと言う事に成ります。
もともと事の発端は、私の方に非があり、後々の付き合いを考えても、世話に成った所に仇を為す訳には行きません。
それに、この寺と縁を絶つ気持ちはないし兄弟子も居るので、波風を立てるよりも良い関係を保ちながらの付き合いの方が
互いの発展につながると考えました。
私の本心は『経営、経済、軍学、帝王学』など、仏教には無い様々な奥深い知識が欲しくて、出て行きたいのですから、
そもそも私の我侭なのです。
ただ、教えを授けてくれる師匠達の年齢と寿命を考え合わせると、ゆっくりとしていられなかった事情もありました。
それに、話の途中で気が付きましたが、「出て行け!」と言うのは、ものの弾みで本心ではなかったのです。
初め、「オマエの代わりは見つかった!」と言われた時には、
『嫌な事ばかり引き受ける任務には、もう興味がない。
今の立場にしがみついて、貴重な知識を受け継げずに終わってしまうのは、自分としての将来的損失が大きい。
それに自分の代わりをしたい者がいるのなら好都合だ。
後の事は、どうなろうと志願する者が全ての責任を請負えば良いさ!
他人のする事は、何事も簡単そうに見えるが、見合うだけの器量が自分に備わっているか?否か?は、別問題だ。
後は、成り行きに任せるだけ・・・』
この様に思いながらいたので、遠慮なく話を進めましたが、様子が変なので途中から気付いてはいたものの互いに、
言い出してしまった手前、引くに引けない状態と成っていました。
今から思えば、良い年をして子供の喧嘩の有様だったのは、誠に恥ずかしい限りです。
そこを逆手に取った様な格好に成ってしまったので、私には気が引ける部分があったのも本音です。
内々の話とは言うものの、いざ出て行く事が決定的に成ると、兄弟子とのプロジェクトも途中だし、クラブのママ達とも
別れたくないし、蒲池さんとの経緯も残したままなので、あと半年余計に時間を稼ぎ一応の目処を立てたかったのですが、
『一度、放たれた矢は、元には戻らない!』、この原則は変えられないので仕方がありませんでした。
こうして、翌日からゆくっりと根回しを開始しましたが、人は正直なもので、その人の本音は隠し通せないものです。
ただ、誰も私の本音を見抜ける者が居なかったのは、面白みに欠けて残念でした。
私の方の段階は、こうして様々な準備を整えて行ったのです。
兄弟子を含め表面上の出来事しか知らない方々には、私の行動に合点が行かない部分を感じられていたでしょうが、
裏には、この様な事情がありました。
事情を話すと全ての経緯や何をして来たかも言わなければならず、それを話す訳に行かなかったので、皆様方には、
『アイツは、好き勝手にしやがって!!』と思われたでしょうが、お許しください。
それでも、ここに全てを書き記した訳ではありません。
さて、この時、私の代わりを志願した者は、2ヶ月もしない内に『用済み!』と、成ってしまったらしく、その年の暮れまでに、
仲たがいをしてしまった様です。
後から、仲立ちに入る使者は来ましたが、相手にするのも面倒なので好きな物を御馳走し買収して適当にあしらいました。
この時の報告は、「手応えあり!」と言う事で、私が『水に流した』と受け取ったらしく、日付入りの辞表を提出するまでの間、
安心していた様です。
こうした事が固まりつつある中で、蒲池さんと最後の会談を迎える事になります。
次回に続く
(追記)
今回は、全体的に短い文章ですが、幾つかの教訓があるかと思います。
『互いに感情的な話し合いは良い方向に行かない。』
『交渉は決定的な条件を持つ方が勝つ。』
『誰かを飛び越えようとして、失敗した時の代償は高くつく。』
他にもありますが、私は中でも、『疑心暗鬼の中では、先に動いた方が不利である。』、これを上げておきたいと思います。
『川中島の決戦』に、似た様な状況でしょうか?
この場合、私から仕掛ければ大儀に欠けていたので、難しい立場に成りましたが、仕掛けられたので、全ては予定通りに
話を進められました。
「まさか!」、この様な落とし穴に嵌った場合は損害を少なくする為、傷の浅い内に自分の方から撤退を考えるべきです。
それと、人の上に立つ者は常日頃から、『疑心暗鬼』の状態を作らない様に心掛ける方が物事は上手く進むと思います。
仮に、『疑心暗鬼』が避けて通れないのならば、要所では伏兵を仕掛けておく事。
男女共に猜疑心の強い人と付き合わなければ成らない時には、小心なのを考慮しながら動かないと、必ず相手から動き
出すので、ここを注意しなければなりません。
この様な『疑心暗鬼』を防ぐには、どうすれば良いのか?
決定的な方策は難しいのですが、『日頃から公明正大を心掛ける。』、『条件の有利な方が手を差し伸べ様子を見る。』
これを心掛ければ、随分、違うと思います。
建設的な良い方向での効果を望み事業を進めたければ、『疑心暗鬼』は大敵です。
この掲載だけを読む方々には、私が策士の様に感じられるかもしれませんが、残念ながら策士程度ではありません。
蒲池さんとの経緯の掲載が終ったら、『程度の悪い腹黒と策士の違い、単なる策士と参謀の違い』なども書き記したいと
思っています。
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| 2008年3月12日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 45 |
(今回も余談を中心に綴ります)
今回は話しの向きが違う事を述べてみましたが、『モテない男の条件とは何か?』と『モテる男の条件とは何か?』を通し、
意義のある事を考え直して見たかったのが趣旨です。
私の考えを先に申し上げると、
もし、『モテる』事を中心に生きて行きたいと思えば、男女共に整形手術を施し美形で明るく好感を与える様な顔立ちに整え、
何か芸の一つでも覚え爽やかで軽やかな身のこなしを憶える事が手っ取り早く簡単な方法であろうかと思います。
単純なモテ方なら、ある程度、お金を掛ければ解決の目処がつく問題に過ぎません。
表面上の事から言えば、この様な事で済みますが、それで自他共に心が満たされ幸せか?否か?これは別問題です。
ただ、これも各人各々の諸事情もあり価値観と生き様の問題である事から、他人が、「かくあるべき!」と、口を挟む様な
問題ではないので、何をどう考え判断するのか?
ここは、全て読者の方々に、お任せします。
それは、逆の立場を言えば、『他人から言われる筋合いのものではない。』とも言えるからです。
しかし、何か参考になる事があるとするならば、『モテる事』とは、『魅力的』に感じる事であり、各人の求めにより違うので、
一概には言えませんが、その人にとり、心の満足感を与えるものなのではないでしょうか?
それが何であろうと、どの様な評価であろうと、何ら構わない事です。
幾ら、自分の価値あるものを他人に押し付け様とした所で、他人には意義など感じられないのは仕方ありません。
それと、もう一つ言えるのは魅力的に感じられる事の中に、『必要性を感じられる事』が含まれるのは確かです。
表面的に歓迎される事と必要性に駆られ求められる事では、その感じ方や影響力は明らかに違いがあり、全く次元の違う
話に成るかと思いますが、結局、最後に残るのは、『必要性を強く感じられる事』、こちらの方が優勢なのではなかろうか?
私は、この様に感じています。
誰からも必要性を強く感じられ、しかも、求めに応じ心安く引き受けてくれる様な人が、モテる人の一つであろうと考えます。
これは、何も人間に限った事ではなく、様々な商品、サ−ビス、あらゆる面について共通する事ではないでしょうか?
この様な考え方も年齢や人生経験により、大きく変化して行く事なのですが、一応の見解として述べておきます。
私が何故、『モテる男の条件とは何か?』や『モテない男の条件とは何か?』、この様な事に取り組み出したのかと言えば、
そもそもは、蒲池さんと会談する以前から、迷える者達との対談では必要と成る事が多く、他人の好い加減な感覚など、
実に当てには成らないものですが、人を惹き付け動かす原動力の一部である事に間違いありません。
もし、自分の持ち得る諸条件の中でも、自身の力で変えて行ける事、人柄や癖などで、好ましからざるものを好感を
与えられる様なものに変えられるものなら、『人生にも喜びが増えるのではなかろうか?』と考えた次第です。
蒲池さんとの会談でも、
「人は様々な事情に流されて変ってしまうものではあるが、自分から変えて行く事も出来る。
気が付いた時に、過ちは正せば良いし不足は補えば良い。
その方法さえ解かっていれば、何も恐れる事も迷う事もなく、自身を活かす為に向上させられる。
大切なのは、現実から目を逸らさないで、辛くても逃げずに取り組む事だよ。」
この様に言ってあり、この場所から去るのに時間を稼げる目処が立った為、最後に、『有言実行』、私の言っている事を
私自身の姿を通して、それを証明しておきたかった事と私自身の誤りも正すべき絶好の時期が来ていた事に因ります。
それは、他人の為ではなく自分自身の歩む道を開く大きな手掛かりとしたかったのです。
私は、『自身を騙して、物事を動かしても空回りして前進しない』と言う事が持論の一つですが、それは、自らが創造出来る
根本的な世界の何処にも自分の居場所が無く成るからに他ならないからです。
12月10日(月)に記した様に、小細工やハッタリの類が通用するのは、世間知らずの人達を相手にした時に限られ、少々
知恵の回る者には直ぐに見破られるので、下手なメッキが剥げて信用を失った時の方が、自身にとって痛手を受け、
大切なものを失う事につながります。
それでは、気を使い疲れるだけで得るものがありません。
蝶々さんやクラブのママ、オカマ達、その他多くの諸姉達が私の将来を大切に考えてくれ、多くの支援をしてくれました。
様々な困難を共に解決する手伝いをしたので、たくさんの経験談や苦労話、本音と建前を訊かせてもらい、本当の意味で、
生きた知識と経験の研鑽をする事が出来ました。
もし、この人達が親身に協力してくれなかったら、修行の奥行きと幅を広げる事が適わなかったのは確かです。
それも、私を信用し任せてくれたから実現できた事であり、自分達の諸問題を解決する事が主要目的であったにせよ、
私の成長して行く姿を喜んでくれていたので、私も喜んでもらえると励みと成り、更に精進するので格段に力を蓄えられ、
お互いに良い循環を作る事が出来て、自分の望む修行が積めました。
困難な事と言えども糸口は必ずあるもので、難題を解決した後の充実感ほど楽しいものはありません。
こうなると互いの信頼感は、一層強くなるものです。
ただ、この様な場合でも、相手を良く見極める必要があり、誰でも上手く行くとは限らないのも事実です。
蒲池さんには、
「みんなから支えられているが、みんなを支えてもいる。
世の中の物事は、互いに必要とされたり必要としたり、相互の関係が上手く成り立っているから良い方向へ進む。」
この様に言いましたが、これは実体験から骨身に沁みている言葉なのです。
必要性を感じてもらえる事ほど、確かな信頼を築く手立てとして良い方法は、他に見当たらないと思います。
チヤホヤされるのを、『モテる』と勘違いする人も多い様ですが、残念ながら虚言に踊るのは身を誤る元でしかありません。
飽きられたら、それで「お仕舞い!」の話ですから・・・
私には、決して忘れる事の出来ない心に刻む言葉があります。
彼女は、世界各国で数億人の人々から愛され尊敬されていました。
今でも、多くの人々の心に生きています。
とても人徳の優れた彼女でさえ、「互いに心の通じ合う人を探し求めるのは難しい。」と、言ってました。
自分にとって、『心の通じ合う人』とは、どの様な人の事を指すのでしょうか?
自分自身が、『心の通じ合う人』に成れるとは、どの様な事を指すのでしょうか?
長い人生を意義あるものにする為にも、この様な事を少し考えてみる方が、ご利益に成ると思いませんか?・・・
次回から、2月20日の続きを綴りたいと思います。 |
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| 2008年3月5日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 44 |
(43〜45話は、余談を中心に綴ります)
ミヤコ蝶々さんと話していると、魅力的な話術に人間の深さと芸の厚みを感じ、下手な説法ばかりしている私は、
蝶々さんにも仄かな憧れを抱いていました。
蝶々さんとの経緯は長くなるので割愛しますが、私が佇みボンヤリ景色を眺めていると、「ご機嫌、どうですか〜」と、
にこやかに声を掛けてくれたのが、出会いの切っ掛けで、どこか深みのある人柄に、直ぐ打解ける事が出来て、以来、
会うと世間話をする様に成りました。
その蝶々さんから、「朗らかに、人を暖かく包める様にならんとあかん。」と、何度か言われた事があり、内心、困惑して
いましたが、今でも、ミヤコ蝶々さんの出会いは、心の宝ものにしています。
残念ながら、『モテない男の条件とは何か?』を聞きたかった時には、体調が悪く成りだした頃で聞けませんでしたが、
蒲池さんと会談する以前に『モテるって、何だろう?』と訊ねた時、「労わりのある人、気遣いのある人がモテる人や!」と、
教えてくれていました。
話の中の流れで、蝶々さんから、「随分、色気づいた事、聞くやないか?エエ人が出来たんか?」と訊かれたので、
私は、
「自分の事じゃなくて、住む世界が違う、歩む道が違う、価値観が全く違う、お互い何も接点を持てない、遠い存在、
そう言う巡り合せの者同士を諦めさせなきゃ成らない時、どうしたら良いか考える為に知りたいだけだよ。
自分の事なら、何を如何すれば良いかぐらい、3分あればケジメが付けられるから、こんなに考える必要はない・・・
他人事だから、その分余計に行く末を考えてあげないと取り返しが付かないから難儀なんだ。
誰がどう見ても、どう考えても、難しい話、それを人知れず始末を付けて引き裂くのが、今度の特殊任務だから・・・
今回ばかりは、火の粉が変な方向に回りそうで気が進まない。
困った事に当人同士は夢中に成っているから、何が本当に必要で何が限度なのか解ってないからね。
本人達は周囲に迷惑掛けても、自分の事しか考えていないから本当に厄介だよ。
このまま行けば悲劇で結末を終えるのは解かっているけど、その男の気持ちは理解出来るから、『叶わぬ恋』・・・
終わりを迎える時が来るまで、本人達の気が済む様に、そっとしておいてやりたいのさ。」
と、哀愁に浸り答えた所、
蝶々さんは、
「プロが仕事に迷っとる様では、まだまだ、修行が足りな〜
ええか!初めから、何の見込みもないと解かってる場合は、相手の心に残らん様に、それとなく静かに去って行くのが、
相手の為やないか?
誰でも己が一番可愛いくて、相手の都合なんぞ構っておられへんから、仕方ないけどな・・・
それでは、男にしろ女にしろ、どっちにも値打ち無い!
話しが上手く纏まるのは、どちらかが譲ってどっちかが我慢する場合、お互いに満足の行く場合、これしかないで。
何とか取り繕って纏めた所で、互いに己の都合を押し付けなあかん様では、足の引っ張り合いに成るか?無関心に
成るしかないやろ?
それで、幸せか?
女を選ぶ時も男を選ぶ時も、どっちも、人生を選ぶ時や。
自分の幸せだけじゃなくて周りの幸せも、ひっくるめて選び取るのと同じ事や。
あんたには、ええ事、教えとこ。
ああしろ!こうしろ!と、何かと押し付けがましい女は、角ばかり立てるから、納まりが悪い。
ああしてくれ!、こうしてくれ!と、せがむ事の多い女は段々面倒に成るから、飽きが来る。
ああしてあげる!こうしてあげる!、世話を焼きたがる女は、窮屈やけど頼りに成る。
ああして行こう!こうして行こう!と、何でも一緒にしたがる女は、何時でも支えに成るから、こう言うのを選ぶのが賢い。
そやけど、こうした賢い女は、『自分の芯』をもっとるから、簡単には、なびき寄らん。
女の方から選んでもらえる男に成らんと、あかんわな!
男の出方で女の出方も大きく変るから、ここらの塩梅や!
一番、あかんのは、自分からは何もようせん、人から言われても何もようせん女や!これは、どないも成らん。
気のないもんと一緒では、人の足を引っ張るだけで、共倒れにならん様にするのが精一杯や。
夫婦になるのはな、互いにペットを選ぶ様な『カワイ子ちゃん』気分で、おったら碌な事にならへん!
・・・中略・・・
これだけ知っとるだけでも、人を選ぶ目が違って来るやろ?
女が男を選ぶ場合も同じ事や。
あんたは、他の人と毛色が違って見所があるから、けったいな女に付いて行ったら、あかんで!」
と、教えてくれました。
二人だけで話す時の蝶々さんは、テレビで人生相談を行うより、本音で語ってくれます。
私は、蝶々さんにも、「けったいな女に付いて行ったら、あかん!」と、他の女性達と同様の事を言われたので、
「スズちゃん、どうして、けったいな女に付いて行くと思うの?」と、訊ねた所、蝶々さんは、「あんたには、敵わんな!」と、
笑いながら、その理由を教えてくれましたが聞いている私も照れました。
しかし、その理由と蝶々さんの話を聞いていて、それまで気にも止めていなかった自分の一面に、思っても観なかった
事が隠されているのを初めて知り、嬉しかった反面、自分で自分が怖くなったのも本音です。
『灯台下暗し』、他人様には、「己を知れ!」と言っていた自分自身が己を知らず、何とも御粗末な話でした。
翌日、仏道の師匠と軍略の師匠にも、蝶々さんから聞いた事を電話で確かめた所、「今頃、何を言い出しているのか?」と、
笑われました。
良き指導者と言うのは、その人の特徴や持ち味を上手に引き出し欠点すら使い道を活かせる方向に指導出来る事が
一番大切なのだと、蝶々さんの姿を通じて実感した次第です。
これ以降、蝶々さんには、「朗らかになれ」、「人を暖かく包め」、「にこやかにしろ」と、言われなくなりましたが、
互いに、気心が良く分かり、本人の為になるのは、上飾りではなく率直に話し合う姿勢が大切なのではないだろうかと、
思う様になりました。
次回は、少々私見を述べたいと思います。
(追記)
結局、この時の縁切り任務は、両者の将来を充分に考え、時間を掛け穏やかに説得し解決を図る事にしました。
男の方は、直ぐ説得に応じ良い方向で解決に向かい出し、女の方も、初めは不承知でしたが、徐々に腰を折って行き
外堀を埋めた上で諦め気分にさせ目処を付けた後、穏便な方向で推移して行きました。
時の経つにつれ両者とも穏やかな解決へ向かっていたのですが、間隙を縫って、他の者が、とんでもない事を・・・
これを切っ掛けに、『狐疑』を呼び起し、物事の前後も何もかも御構い無しに成ってしまい、一気に崩れ出したら、
後は止め様がありません。
この様な結末を迎えるのは、予め承知していたので、当人達には重々釘を刺して置いたのですが、将来を考えた
自制よりも、その場の勢いの方が遥かに強く勝るものです。
この話は最終的に悲劇で幕を閉じ、多くの傷跡を残しました。
私にも責任と疲労だけが転がり込んで来た上に、他の方にまで飛び火して総崩れにしてしまったものですから・・・
「手段を選ばず、さっさと始末を付けなかったオマエの責任だ!」と、言われても、これは仕方ありません。
私としては大失敗であり、当人達の気持ちを尊重する善意が良い方向にばかり向かない典型の様な出来事でした。
この後、何とか物事が上手く行く『魔法の黄金律』の様な画期的手立てはないものかと、あちこちに相談してみましたが、
『何かを動かす時には、反作用や犠牲は覚悟しなければならない』、この壁を崩せない限り『安全確実絶対に大成功』、
この様な方法は何処にも見つかりませんでした。
『何かを求めて得ようとすれば、別の何かを失う覚悟が必要』、これは、千年以上も昔から修行時の心得の一つとして
伝えられている事ですが、現代でも、どの道を歩もうと、この原則は同じだろうと思います。
もし、何かあるとすれば、『思慮深く行動し泥沼に嵌らない様、工夫する』、これ以外、良い手立てはなさそうです。
この一件は消える事のない深い悲しみを生みましたが、大きな教訓を数々残してくれ有難い修行に成りました。 |
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| 2008年2月27日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 43 |
(今回から2〜3回程度、余談を中心に綴ります)
今回の話は、坂井泉水さんとの交流とは、些か話しの向きが違うので、『番外編』にして取り上げ様とも思いましたが、
私の姿勢が大きく変化して行く切っ掛けでもあり、話の流れを表す一つとして綴る事にしました。
この掲載で記す事は、ほんの一部の出来事に過ぎませんが、参考に成ると思います。
・・・以下本文・・・
私は、蒲池さん初めて会談した時に散々「モテない!」と言われたので、知り合いのクラブのママやオカマ、その他多数の
女性達に『モテる男の条件とは何か?』をリサ−チしたのは、以前、記した通りです。
この度は、『モテない男の条件とは何か?』をリサ−チしたのですが、この様な話題は、一般雑誌などで良く取り上げられる
話題なので、大凡の答えは周知の所だろうと思います。
一見すると、この様な話題は興味本位で軽薄な話題の様に思われがちですが、私の様に人間模様を眺める機会の多い
立場からすると、最後に行き着くのは、この部分である事が多く、他人事ながら何時も考えさせられていました。
逆に、『モテる女の条件とは何か?』、『モテない女の条件とは何か?』これは、私自身が男ですから直ぐに解かるので
問題なく話を進められます。
しかし、所謂、『乙女チックな感情』と言うのは、簡単に割り切りが付かず良い方向での決着が付けられない場合も多く、
物事を道理に照らし是々非々で判断する私には、理解の及ばぬ事もあり、その様な時、相談に乗ってくれていたのが、
知り合いのクラブのママや綺麗所達、オカマ、妹分達、その他の諸姉で、単に相談をするだけでなく人生で必要とする
大切な事も親身に教えてくれました。
私も得意分野を活かし積極的に協力しましたが、返って、この人達から学んだ事の方が多かったかもしれません。
私の成長を助けてくれ、とても喜んでくれていました。
この様な事情で、蒲池さんから、
「女の子との接し方をレクチャ-しますから、もう少し大人になってモテる人を目指しましょうね!」
と、言われましたが、この様な話は、既に別件から解決済みだったのが本当の所です。
蒲池さんと初めて会談する以前に、『モテるって、何だろう?』と、キタのクラブのママに相談した時の回想の一部です。
キタのクラブのママ曰く、
「モテる人は誰にでも愛されて、とても魅力がある素適な人の事ね・・・
多くの人から、愛されて望まれるのは楽しくて気分も良いから、誰もが、そう成りたいと願っているわ。
でも、信念を通して生き様とする男の子は、心から愛して共に生きて行きたいと願える人だけにモテれば、それで良いのよ。
その時が訪れるまで、余計な事には気を取られず自分の信じる道を進みながら勉強を積まなきゃいけないわ。
本当に大切にしたい人を見つけた時、考えても遅くないから・・・
女が本当に素適だと思える人はね・・・
それは真心を持って、『生きて行くって、良い事なんだな〜』と、教えてくれる人。
自分のタイプで理想的な人に越した事は無いわ。
だけど、女が本気に成れるのは真心を持って受け止めてくれた人だけよ。
真心で包んでくれた人の事は、一生忘れられない・・・
離れ離れに成っても、例え他の誰かと一緒に居ても、その人は自分の一部として心の奥に何時までも生き続けるの。
だから、一人でいいわ〜
愛してくれる人は・・・
相手を追いかけて捕まえても、『何時かは自分から逃げて行くかも知れない?』、心の何処かに 不安が生まれ出すと、
段々醒めて行くし、初めは見えない部分が多くて、とても素適で魅力的に見えていた人でも、心の奥に押し込めた嫌だと
感じる所が見えると、女は何時か自分の間違いに気付いて、別の人に惹かれて行く自分が居るものなの。
男と女の関係は、綺麗事ばかりじゃ通用しないけど、『この人なら、真心を貫いてくれる。』
そう、心から思えた時、自分から進んで何かをしてあげたくなるものよ。
女に、『この人の為に何かしてあげたい。』、そう思わせる大きな人に成る方が先。
こう言う背中を見せられる男でいてね。」
と、優しく微笑みながら言われ、「あ〜ん」して、チョコレ−トを食べさせてくれた時、このママに仄かな憧れを持つ私は、
『この人の言う事が、世界で一番正しい答えに決まっている!!
ママに認められて何時までも心に残してもらえる様な人は、誠を持った本物の男と言えるだろう!』と、思いました。
このママは、駆引きなしで率直に『女の本音』を語ってくれたと思います。
チョコレ−トを食べさせてくれながら、ママは続けて、
「誰でも自分だけを特別に愛して欲しいから、気を引こうとする人もいるけど、心から好きに成れる人だけを大切にして、
好い加減な気持ちで誘って来る女の子に付いて行ったら道を誤るから気をつけてね。
・・・約束・・・」
蒲池さんと会う以前から、この様な約束をしていました。
オカマやその他の女性達からも、「和尚様、絶対ブスなんかに付いて行かないでね!」と、言われた事が何度かあり、
私を知る女性達から見ると、『自分は女性からの誘惑に乗り易い人間だと疑われているのか?』と、思っていました。
このママからは、他にも沢山の事を教えてもらいましたが、不用意な事を掲載すると悪用する輩も出て来るので、今回の
課題、『モテない男の条件とは何か?』の回答だけを掲載すると、『女を物や道具の様に扱う男』だそうです。
この意味は深くて、『女を自分の満足の為だけに利用して、物や道具の様にしか考えていない男』と、言い換えられるかも
しれません。
他の人達からは、『陰険な事をする人』、『逃げる人』、『直ぐ馬鹿にする人』、『拒絶する人』、『話を聞いてくれない人』
『怒る人』、だそうで、初めは素適に思えた人でも慣れて『魅力』と言うメッキが剥げてしまい生理的嫌悪感を懐く行為を
行う者は、『人並以下』にしか感じられなく成ってしまう様です。
私も聞いていて耳の痛い事もありました。
その時は、「自分にも思い当たる節があるから、その誤りは正す事にする。」と言うと、相手の女の子は驚き、「ホンマ?」と、
訊いてきますが、他人の為ではなく自分の為ですから、『本気』なのは当然です。
世間一般的に、自分を変えて行く事は難しい様な捉えられ方をしていますが、方法を理解していれば、個人差はあるものの
想像以上に困難な事ではありません。
何れ機会があれば、この辺りの事も差障りの無い範囲で紹介して行きます。
次回は、ミヤコ蝶々さんとの話を中心に綴りたいと思います。
蝶々さんの言葉は容易ですが、何時も思いやりに満ちた奥深いものでした。
(追記)
この様な事を綴っていると、何処か『水商売の女性達』と特殊な関係を持っている印象を与えてしまうかも知れませんが、
基本的に全ての価値観を、お金で割り切っている『水商売の女性』は、私の様な貧乏街道まっしぐらの、お金にならない者を
サ−ビスすべき、お客として相手にする人はいません。
私の場合、お菓子や心付を戴く方が専らでしたが、それは人間的な暖かい関係を求め来る場合が殆どで、商売として
割り切っている顔とは、別な一面での付き合いです。
本当に生きる目的の全てを、お金だけで割り切っている人達ばかりではないのも事実です。
このママとも出会った頃は、お店の繁盛に関する事や開運方法と言った話題が中心でした。
時が経つにつれ互いの気心も解かり、話題も商売の事よりも『笑える愉快な話』の方が中心と成り、殆ど友人関係でした。
互いに余計な事は、『訊かない、触れない、言わない』、この原則を守り、相手を見下す様な真似をしなければ、皆が楽しく
仲良くしてくれます。
私は、普通一般的な人達よりも、世間の裏側で生きる人達の方が、看板に偽り無く筋を通して生きているので好きです。
返って、普通の人の方が、程度の悪い者が多く嫌に成ります。
ママとは、月に1〜2回程度会っていましたが、時々、ホステスのママとは全く違う素顔の女性として訪ねてくれました。
人は、嫌な事が重なると、素顔のままでいられる誰かと話したくなるものです。
その様な時は、私も職務をサボリ、ママと景色を眺めに行ったり、喫茶店で、一つのチョコレ−ト・パフェを分け合って
食べたり、心から楽しい時を過ごし、その時、胸の内に秘めた甘さと香りは、月下美人の花の香りが漂う感じのものでした。
私の中では、誰にも知られない楽しい夢の中の別世界として、大切にしていましたが無用な世界を整理して捨てなければ
ならなく成った時、子供の頃、お気に入りのうさぎのぬいぐるみを捨てた時と同じ様な気持ちで、切なく名残尽きない心境、
目を覚まさずに済むものなら、そのままで居たかったのが本音でした。
もう、二度と赴く事の出来ない甘く切ない世界に別れを告げて旅立つ時、人は少しだけ成長した気分に成るものです。 |
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| 2008年2月20日(水) ZARD 坂井泉水との出会い 42 No.131 |
前回(2月13日)の続き
こうして二度目の会談を終えた迄は良かったのですが、特殊任務をサボった以上、波風が立たない訳ありません。
それでも腹を括った決断ですから、一応の詫びは行うにしても、それ以上の取り繕いはせず、次の手立ての手配を
始めようと考えていました。
翌日、成り行きを報告しようとしたのですが、この日から無視される事に成り、これも自身の行為が招いたものですから、
仕方なしと諦め、私も、ここを境に迷う事無く次の行動への準備に入り、撤退の根回しを始め軸足の移動を整えました。
暫らくは表面的に何事も無く過ぎ、その間に蒲池さんから様子伺いの電話があり、「何もないから心配ないよ〜」と、
安心させ様としたのですが、彼女は、「ウサちゃんが凄く心配、嫌な予感がする!」と、鋭い心配をしていました。
私は、「余計な心配をしている暇があったら、自分の足元を固めて、こっちに下らない話を持ち込むな!」と、答えた所、
彼女は、「嫌われ者!馬鹿うさぎ!」と、言って電話を切ってしまい、私は、『怖い顔して電話を睨んでいるだろうな?』と、
思うと、何となく、さっちゃんの怒った顔が見たくて会いたい気持ちが込み上げました。
それから数日後、仲立ちに入る者があり、諸々の理由を訊ねられた私は、
「以前から約束してあった事だから、当日、急に予定を変更しろと言われても相手の都合もある。
責任ある仕事を持った女の子は、男に比べて社会の壁も厚いから何かと大変なんだ。
単に話を聞くだけで解決するほど簡単な問題なら、ここまでワザワザ相談に来るものか!
杓子定規な話で済むなら時間は掛からないが、人一人の人生が掛かっているから、いい加減な返事は出来ない。
こちらも彼女に色々と頼み事をしている手前、邪険に出来ない事情がある。」
と答えておきました。
どの程度、過ぎた頃か定かではありませんが、突然呼ばれて、「最近疲れてるだろうから、休暇をやろう!」との事で、
今までには考えられない事がありました。
この時、休暇を断れば充分手は打てましたが、『渡りに船』とばかり何食わぬ顔で、「最近、疲れて大変です。」と、
有難く2週間の休暇をとりました。
この月は、行事が立て込んでいる為、本来なら休暇など取れない月でしたが、休みの間に手配りをする積りでしたので
躊躇いはありません。
私は内心、『どうせ、いない間を狙って愚かな阿呆共が動き出すだろう。』と読んでいました。
出た杭を打つのは簡単ですが、出過ぎた杭は打つ事が出来ないので、倒す以外方法は無いのです。
その様な者共の話に踊る様では、元々見込みなどありません。
今迄なら、先手を打つか?我慢していたか?だろうと思いますが、『小さなリスの勇姿』に感化されたらしく、心に一点の
迷いも曇りもありませんでした。
東京に戻り帰郷の準備を始め様と、商業の師匠と軍略の師匠の所にも挨拶に行き諸々の経緯を話しました所、
商業の師匠は、「実に貴方らしい、早々に帰ってらっしゃい!」と大喜びでしたが、軍略の師匠は大層立腹し、
「愚か者!情に絆され、身を誤りかける奴があるか!!
何の為に、日頃から兵法を学んでいる!
そんな足元の覚束ぬ者が、兵法を無事修められると思っているのか!
以後、身を誤らせる無用な世界は捨て、一層の精進で軍学を修める事を旨とせよ!
日本国の大事に備え、己が為すべき務めを忘れるな!
ただし!婦女子を守る気概の無き輩は、日本男児として恥ずべきであり、国士としての用を足さぬ者である。」
との事で、結局、幾ら目的が善良な行ないであったとしても方法に問題があれば、禍根を生じてしまうと言う事です。
有難く、お説教を拝聴した上で、その後の段取りなどの指導を受けました。
この時、商業の師匠からは経営や経済関係、軍略の師匠からは軍学と諸々を一層深く学べる機会を得る運びと成り、
私はある意味、将来につながる大きなチャンスの種を戴ける事が出来ました。
本当に、『瓢箪から駒』であり、『災い転じて福』が舞い込みましたが、それと同時に、今までの生き方も見直し不要な
事は放棄しなければならない分かれ道でもあります。
私の心は、千載一遇の機会に胸躍る喜びで満ち溢れていました。
独学で、この人達の積み上げてきた所に到達するのは事実上不可能であり、貴重な経験と知識の蓄積を手にするとは、
『月へ行くロケットの切符』を手にしたのも同然なのです。
この日、私は、それまでの生き方に幕を引き、新しい生き方を求め歩み始めました。
事実上の引退をしたのは、この日であり、新たな人生を選択するカ−ドを引き、静かな幕開けを迎えた日でもあります。
後々、商業の師匠から聞きましたが、後日、軍略の師匠は、「自分の若い頃に良く似ている。」と、御満悦だったそうです。
諸々の段取りを終え東京を後にすると、身辺の整理を始める根回しをしなければ成りませんでした。
この時、自分では至って平静だと思っていましたが、兄弟子から、「オマエ、雰囲気が変ったな?何か企んどるのか?」
と、鋭い事を訊かれ、時々会うオカマにも、「和尚様、人が変ったみたい?どうしたのかしら・・・?」と言われましたが、
他にも多数の人達から、「何処か雰囲気が変った。」言われ、どうして解かるのか不思議でした。
仲良しのキタのクラブのママからは、その事には触れず、「男の子が輝く時の目をしている。」とだけ言われ、直ぐに
覚られている様では、全く修行が足りていない証拠です。
話は少々脱線しますが、この時、私は繁華街で遊興を楽しんでいたのではなく、『モテない男の条件とは何か?』を
探る為、知り合いの女の子達に聞き取り調査を行うべく参道で待ち構えていました。
以前、『モテる男の条件とは何か?』をリサ−チしてみましたが、この度は逆の視点から知りたかったのです。
話をすると何時も蒲池さんは、「嘘つき、モテない変な人!嫌われ者!感じの悪いうさぎ!その他」などと罵るのですが、
そう言いながらも結局は、他の誰よりも甘えて来るし不思議と彼女からは何を言われても全く気に成りませんでした。
前々から、ミヤコ蝶々さんにもそれとなく言われてる事もあり、蝶々さんの言葉は素直に聞き入れていませんでしたが、
蒲池さんとの二度目の会談以降は、自分の悪い態度で改めるべきは改めようと思った次第です。
この様な、それまでにない心境の変化を促す切っ掛けをくれたのも彼女でした。
このモテるモテない云々の話は、蒲池さんの事とは直接関係ないので伏せてしまう積りでしたが、『淡い雪がとけて』を
聴いていると、自分の境遇も、さっちゃんの為に記しておきたいと思う様に成りました。
彼女には、「歌に仄めかす事」、「日記など文字にして記録に残す事」は、堅く禁じておいたので、私の事を指したものでは
無いと思いますが、さっちゃんの記憶は美しく楽しい思い出として重なる部分も多くあり深く感傷的にさせる歌です。
それは、思い当たる両者の心の行き違いが描かれているからかも知れません。
何故、この様な事を禁じていたかと言えば、短い付き合いで済ませる人には、私の存在を早く記憶から消させる為です。
7月15日に記した理由も一つありますが、私には、『自ら世に出ず、他人の心に自らを残さず、黙して語らず』、影の世界に
生きる者としての不文律がありました。
それに、忘れてしまう程度の話ならば、本人には必要性の薄い事なので、早く忘れた方が精神衛生上好ましいのです。
不文律云々の話は別にして、次回、『モテない男の条件とは何か?』をリサ−チした時の話と共に綴りたいと思います。
今更、過ぎた事の何を記そうと意味の無い事ですが、これから人生を切り開こうと志す諸氏の参考に成れば幸いです。
次回に続く
(追記)
本当は、『モテない男の条件とは何か?』を、この追記で簡単に記して終えようと思っていました。
ただ、この話は大切な事を多くの含み、私の考え方にも大きく影響したのは事実です。
これだけでも特集を組めると思いますが、これは後々考えます。
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